映画

2008/07/23

オリバー・ツイスト(Oliver Twist)

「悪いことは悪いんだ」という公正さ、「自分を信用している人を裏切らない」という誠実さ、それが大切

322771view011  チャールズ・ディケンズの名作を「戦場のピアニスト」のロマン・ポランスキーが2005年にリメイクした映画。
 タイトルやプロットは何度も耳にしたことがあるし、ミュージカル版「オリバー」も有名なのだが、鑑賞したことはなかったので、DVDを借りた、多くの映画レビューは結構辛辣な内容になっているので、実際どうなんだろう、という思いもあり、期待半分で観てみた。
 観た直後の感想としては、「そんなに酷評する映画じゃないよ」。フレディ・ハイモア主演の「奇跡のシンフォニー」(以下「奇跡」)が、この作品のプロットと似ている、と言われているが、「奇跡」よりは遥かに良い点が多いと思う。

 まず、人物描写の面から。
 激動の時代の中で、自分を決して見失うことなく真摯に生きようとする主人公の姿にとても好感が持てる。とびきりのスーパーマンでもない、ごく平凡な一人の少年の話である。境遇は平凡ではないが、自分から何かを働きかけたわけではない、という点で、行動は平凡、と言える。しかし、オリバー少年はどんな境遇でも、「悪いことは悪いんだ」という公正さ、「自分を信用している人を裏切らない」という誠実さを決してなくさない。人として大切なことは何か、それを私たちに教えてくれる。
322771view002  スリの親玉フェイゲン(ベン・キングズレー)の人物像。犯罪者で悪人であることは確かだが、オリバー(や他の子どもたち)への愛情は深い。間違いなく悪ではあるが、時折見せる善の面が映画を観ている者に、フェイゲンと言う人物への複雑な印象を与える。人間というのは、善悪単純に判断できるものではない、ということを教えてくれる。なにより、ベン・キングズレーの好演により、フェイゲンがある意味魅力的に映ったことは確かであろう。

 また、ストーリーの面。
 19世紀のイギリス。突拍子もないストーリー展開ではなく、流れに無理がない。(「奇跡」は無理だらけ) 老紳士ブラウンロー(エドワード・ハードイック)がなぜにオリバーに入れ込むのか理解しがたい面は多少あるが、物語としては十分許容範囲だろう。ラストに、オリバーが牢獄のフェイゲンを訪れるエピソードも、主人公の人物像を浮かび上がらせるには十分な内容だ。

 オリバーの生き方、フェイゲンの人物像、ストーリーの展開、どれも十分に評価されていい内容だと思う。

2008/07/21

リトル・チルドレン(Little Children)

元警官とロリコン男のストーリーは決してサブではない

Littlechildren2  不倫を題材にした映画、ということで、「マジソン群の橋」のようなドラマ、または「氷の微笑」のようなサスペンスを予測して鑑賞したが、見事にその予測を外されてしまった。それも、良い意味で外された、という印象だ。人が成長していく過程を描く、人間ドラマであったのだ。

 主人公の主婦サラ(ケント・ウインスレット)と、不倫相手の主夫ブラッド(パトリック・ウイルソン)が、お互いに魅かれあうのは予想通りというか、お決まりのパターン。彼らが破滅的な愛に溺れるか、現実に気付き別れるのか、どちらかだろう、推測はつく。この後、2人の連れ合い(グレッグ・エデルマン、ジェニファー・コネリー)がストーリーにどう絡んでくるのか、どのように2人の関係に気付き、問い詰めるか、昼メロの世界が繰り広げられるか、と思ったら、やや肩透かし。実は、彼らよりも、ロリコン中年男のロニー(ジャッキー・アール・へイリー)と、彼を執拗に追いつめる元警官のラリー(ノア・エミリッヒ)の存在が鍵になってくるとは思いもつかなかった。確かに、映画の当初から妙に気になる存在ではあった。この作品が、素晴らしい人間ドラマになりえたのもの、この2人の登場人物のおかげかも知れない。

Littlechildren4  つまり、こうだ。
 ラリーは任務中に誤って少年を撃ってしまった。その後、PTSD(心的ストレス障害)になり、職を辞してしまうのだが、代わりの職が見つけられない。警官としての使命感だけを頼りに生きている。ゆえに、性犯罪者であるロニーを追いつめることで、アイデンティティーを保とうとする。ロニーは、年老いた母親に溺愛されたまま育ってしまった、まさに「大人になれなかった大人」。母親を強く愛し、精神は子どものままなので、恋愛感情は子どもに向く。ゆえに、少女を襲う性犯罪者となってしまった。2人とも、確かに病んでいる。しかし、そのままではいけないと感じている。が、一歩が踏み出せない。その2人を見る周囲の目が冷淡であり、彼らの成長への一歩を助けようとはしない。いや、しないというより「できない」のであろう。なぜなら、周囲の人たち(サラもブラッドも、その他のどの住民も)は皆、自分のことで精一杯なのだ。
 そして、壮絶なラスト。2人が現状を乗り越えようと挑戦する場面。ネタばれにならない程度に書くが、ラリーがロニーを救うために必死になる姿に涙が止まらなかった。彼が成長する兆しがみられ、希望の光が見えた。もう、サラとブラッドの話なんてどうでもよくなった。サブのストーリーのように見えたラリーとロニーの話の方が、ずしんと心に響いたのだ。

 タイトルLittle Childrenは、大人になり切れない大人というより、この世の人間はみんなまだ子どもだ、ということではないだろうか。成長過程の子ども。その証拠に、ラストで、サラもブラッドも一つの不満を乗り越え、そして何より、ラリーとロニーが大きく一歩を踏み出した。みんな「成長」していったのだ。

 最後に難点を一つ。それは、ナレーションが多すぎる点。特に前半。好意的に見れば、ストーリーを補強する上で必要であったのだろう。また、前半のストーリーにテンポがなかったので、ナレーションなしで進んだらもっと緩慢な印象になったかもしれない。そういう点では効果的ではあったのだが、登場人物の内面までナレーションで解説してしまうのはどうか、と思う。

2008/06/29

告発のとき(In The Valley Of Elah)

帰還兵士の心の闇を世論に告発する・・・SOSを受けとめよ

200pxin_the_valley_of_elah  一つの社会問題がある。それを世論に訴えたい、または告発したいと願う時、その表現方法は2通りある。一つは、マクロな視点で問題点を見る方法。理論をしっかり組み立て、様々な事象を並べることで、その理論を補強する。もう一つは、ミクロな視点から問題点を浮かび上がらせる方法。理論は言わない。その代わりに、ある事件を詳細に描写する。同様に別の事件を取り上げる。そういう積み重ねで、自ずと問題点が見えてくるようにする。

 監督(脚本)ポール・ハギスの特徴は、まさに後者である。前作「クラッシュ」は、事件・事象に関わった人物の心の内面を深く描写し、時には感情移入させるような演出、時には客観的に見つめることの出来る演出を施している。そして、人種差別の根にあるのは、私たちが誰しも持ちうる思い込みや偏見である、と訴える。
 そして、今回の「告発のとき」では、事件は一つに絞りながらも、登場人物の内面を描き出すために、様々なエピソードを丹念に織り交ぜている。そして、一つの問題点を浮かび上がらせている。それは、帰還兵の心的障害。
 帰還兵たちのPTSD(心的外傷後ストレス障害)については、ベトナム戦争を描いた映画で何度も描かれ、反戦運動でも言及されている。しかし、この映画には、アメリカの正義と信念を忠実に守り、信じている退役軍人のハンク(トミー・リー・ジョーンズ)が登場する。彼は常に沈着冷静である。息子マイク(ジョナサン・タッカー)も、正義感と意志の強い若者として、父の目に映っている。PTSDの様子は、父の目には映らない。
 ところが、マイク失踪そして殺害後、ハンクの独自調査および、サンダース刑事(シャーリーズ・セロン)の捜査で、様々な隠された事実を知る。その事実一つ一つが、マイクの、そしてその同僚兵士たちの苦悩を浮かび上がらせる。アメリカにいる時の日常がすべて覆される「戦地」と言う場所。その場所では、すべてが狂っている。同僚兵士が言ったことば「ひどい現場を体験したあとは、みな喋らず、黙ってしまっうんだ」と。戦地での現実を受け入れるのは容易なことではなく、まず一人の時間が必要であり、そして、自分なりの方法で受け入れる。中には、「イラクなんか核兵器でぶっ飛ばせばいいんだ」と思ったり、「痛がる敵軍兵士捕虜を痛めつける」といった方法で、自我を保つのである。帰還兵士を夫に持つ女性が飼い犬に対する夫のDVを訴えて警察に来る、という話も、マイクにまつわる話と平行して語られるが、その悲劇的な結末もPTSDの深刻さを補強するエピソードとなっている。

 そして、最後に真実が明らかになった所でハンクのとる行動がまた深く考えさせられる。アメリカの正義と信念を信じているハンクが感情をあらわにして考え方を一気に変える、というストーリーなら想像するに難くないが、ポール・ハギスの演出ではそうはならないのだ。あくまで冷静に、現実を受け入れる。しかし、ある方法で静かに訴えるのだ。この訴え方は、大きな声で叫ぶよりも、遥かに私たちの心に訴えるものがある。私は涙が止まらなかった。もちろん感動の涙でも同情の涙でもない。私たちはもっと真剣にこの問題を考えなければならないんだ、という、後悔と決意の涙だ。

 最後に、タイトルのIn The Valley Of Elah(エラ谷)は、旧約聖書の中のエピソードの一つ。イスラエルの少年ダビデが、巨人ゴリアテに戦いを挑み、わずか5つの石とパチンコでやっつける、というもの。ハンクがこの話をサンダース刑事の息子に話して聞かせる場面で登場する。この息子は、あとで母親に「なぜ、イスラエルの王(サウル)はダビデを兵士として送ったの?」と質問する場面がもっと印象的だった。この話をイラク戦争にたとえれば、「なぜ、アメリカは若者をイラクに送ったの」となる。ちなみに母親の答えは「わからないわ」。そう、イラク戦争でもその答えは「わからないわ」であろう。だからこそ問題なのだ、その派遣を積極的であろうが消極的であろうが賛成し、支持したのも我々なのだ、とハギス監督は訴えるのだ。

 アメリカ国旗を逆さに掲げるのは、強いSOSのサイン。イラク戦争に関わったのはアメリカ人だけでなく、日本人だってそうだ。SOSのサインを受けとめなければ。

2008/06/11

奇跡のシンフォニー(August Rush)

フレディ君の表情と音楽を楽しむ映画
329926view001
 生後間もなく両親から離れ孤児院に入れられても、両親に会える希望を捨てずに生きる少年の感動ドラマ。何となく、ストーリーもエンディングシーンも予想がつく映画でしょう。ストーリー構成の弱さは見越した上で、この映画をどう鑑賞すべきかを考えながら、試写会で観ました。

 主演のフレディ・ハイモアの豊かな表情がこの映画の最大の見どころでしょう。音楽に身をゆだねている時の嬉しそうな表情、まだ見ぬ両親を深く想う時の寂しげな表情、その両親に会えることを願う時の夢見る表情、自分の夢を否定された時に反論する逞しい表情、どれも素晴らしい「絵」になっています。彼の表情の変化を見るたびに、どんどんと彼の魅力に惹き込まれ、最後には彼へ感情移入してしまいます。

 この映画の「聴き所」はもちろん音楽。「音楽は僕のまわりにある。僕がするのは聴くだけだ」という台詞の通り、様々な自然の音や町中の騒音が音楽のように聞こえてくる、という映画はこれまで見たことがありません。特に、草原の中で主人公がオーケストラさながらの振りをする冒頭のシーンは、いきなり鳥肌が立ちました。また、ニューヨークの雑踏の音を相手に指揮をする場面も、騒音が音楽に聞こえてしまうから驚き。アカデミー賞主題歌賞のノミネートのゴスペルソングも、クラシック曲も、バンドの演奏するロック曲も心地よいメロディーです。何よりも、主人公が始めてギターを弾いた時の曲(押尾コータローの曲風)は、スリリングでリズミカル、そして圧倒的な印象を私たちに与えます。いろんなタイプの音楽が混ざり合い、映画を引き立ててくれます。

 音楽とストーリーの絡みと言う点では、ヴァン・モリソンの「ムーンダンス」が登場する場面は一つの鍵でしょう。主人公の両親が出会ったワシントン・スクエアで、ストリートミュージシャンが奏でたその曲は、後に主人公をニューヨークで面倒を見る元ストリートミュージシャンのウイザード(ロビン・ウイリアムス好演!)が演奏。両親が見たストリートミュージシャンはウイザードだったんだ、とわかります。そしてエンディングでは感動的なフィナーレとして使われます。心憎い演出です。

 主人公のストリートでの芸名August Rushが映画のタイトルですが、「奇跡のシンフォニー」の邦題はよいネーミングです。そのまま訳せば「8月の高揚」、夏に心が踊る躍動感が溢れ、主人公が弾いたギター曲のイメージにピッタリではありますが、名前ですから訳すわけにはいかないでしょう。ちなみに、Augustという名前、Rushという苗字、実際にありますね。上手い組み合わせだと思います。

 主人公をウイザードの所に連れていく黒人少年、教会で知りあうゴスペル少女、この2人がいい味出しています。フレディを含め、この3人で大人たちの演技を完全に喰っている気がしました。

 最後に、少し厳しいことを書きます。隣の席の女性は、映画が終わった後ハンカチで目頭をおさえていましたが、私はそこまで感動できませんでした。(私も涙腺は弱い方なのですが。) それは、やはりストーリー構成の甘さです。レビューの冒頭で、「ストーリー構成の弱さは見越して」とは書きましたが、始めて会って恋に落ちて、make love、二人はその夜のことをずっと忘れられずに、、、、では、ちょっと感動できませんでした。「恋空」じゃないですが、これを純愛とは思えないのですね、私の感覚では。だからやっぱり、ストーリーに踏み込んだらこの映画は感動できないでしょうね。(頭で思っていても、ストーリーを重視してしまう自分がいるんですよ)

2008/06/08

メン・イン・ブラック(Men In Black)

地球で共棲する異星人
83465view008
 トミー・リー・ジョーンズ主演で、ウィル・スミスの出世作。異星人をテーマにしたSF映画だけれど、コメディ調に仕上げている点が特徴。最近、缶コーヒーのCMでトミー・リー・ジョーンズが異星人役で出演しているが、それはこの映画のパロディだと思って間違いない。

 異星人は地球を滅ぼすためにやってくるという従来の映画の手法をひっくり返して感動巨篇にしたのが「未知との遭遇」と「ET」ならば、この映画は、「実は、地球には異星人が既に住んでいて、我々と共棲している」という設定。この設定がpeaceful。そんなことから冒頭から一気にこの映画に惹き込まれていった。わくわくしながら、異星人の登場の仕方を楽しむことができたのだ。実はシュワルツネガーもプレスリーもエイリアンだった、というのには笑いをこらえ切れなかった。こんな楽しい思いをして見れる映画はそう多くないだろう。その後のストーリーは、「悪い異星人」を退治するあたりなどありきたりだし、エンディングがほぼ読めてしまうが、それも仕方がないとは思うので、気にはならなかった。ただ、ゴキブリのような虫が大量に出てきたりするところは、いくらCGでも気色悪いので、若干マイナス点かな、とは思う。
 パグ犬が言う台詞に、うならされた。「サイズは(物事の重要さとは)関係ない。重要だからと言って、小さくないってことはないんだよ。」ほんの些細なことでも人生においてとても重要なことはいくらでもある。見た目の大きさじゃ物事はわからないんだ、ということ。これって、物事の本質では?

 ところで、Men In Black(黒ずくめの男)、アメリカでまことしやかに言われていた噂の一つで、UFOなどの超自然現象が起きると「黒ずくめの男」が現れて、「まるで何もなかったかのように」皆の記憶を消し、その場を収めていく、というものだ。この映画は、その噂を映画の題材にしているといえる。それを、ミステリーっぽく仕上げるのじゃなく、コメディータッチのエンタテーメントに仕上げるあたりが、総指揮したスピルバーグらしいセンスなのだろう。
 この続編は、ご多分に漏れず、設定の面白さが既に分かっているぶん、楽しさが半減した感は否めない。やっぱり、この手のエンタテーメント映画は第1作を2作目以降が上回ることはないのだろう。

 最後に、主人公達が携帯する「ニューラライザー」と言う装置、今体験したことの記憶をサッと消してしまうというものだが、この装置、時にはあるといいなあ、と思うのは私だけだろうか。

2008/05/31

陽のあたる教室(Mr.Holland's Opus)

普通の教師の、普通の人生。でもそこには人の成長がある。

Hollandsopus  ホランド先生は、「フリーダム・ライターズ」のような情熱的な先生でもないし、「今を生きる」「ごくせん」や「GTO」のような破天荒さもなければ、「金八先生」のような正義感溢れる人徳者でもない。むしろ、教師にでもなるか、そうすれば自分の時間を有意義に使える、と思っていた、どこにでもいるごく「普通」の青年教師だった。自分の時間を使って、専門である音楽の勉強と作曲をしよう、教師は一時の仕事と考える、そんな「いい加減な」教師だった。ところが、楽器演奏の未熟な生徒達に嘆きつつ、一人の生徒の楽器の指導をすることで、教師という職業のだいご味を知るようになるのだ。さらに、距離を置いていた聴覚障害を持つ息子と、真に向き合うようになる。そして定年を迎えた時、息子と妻の見ている前で、かつての教え子たちで構成されたオーケストラの指揮を執る。教え子に囲まれて定年退職を迎えることほど、教師冥利に尽きることはないだろう。その演奏曲こそが、ホランド先生の作品=Mr.Holland's Opusなのだ。

 この映画の素晴らしさは、ごく普通の人が、目の前のことに精一杯取り組み、時には間違いや失敗を犯しながらも、着実に成長していく姿が描かれている点ではないだろうか。取り立ててすごいことをしたわけではなく、教師として当たり前のことを、親として当たり前のことをしただけなのに、感動的な映画となっているのは、この映画が描く世界が本当にリアルだからであろう。自分の時間を大切にしたがる気持ちも、障害を持った子どもと面と向き合えない心の弱さも、やっかいな生徒の面倒をみるのを嫌がる姿勢も、浮気心も、みんなリアルだ。その時その時、真剣に悩み、精一杯努力し、問題を解決していく。そして、そんな中で人は成長していく。

 ごく普通の人の、ごく普通の生き方でも十分ドラマなのである。そして、ごく普通の人が、自分の出来ることを精一杯することで、この世の中はよくなるのだ、と私は信じている。世の中にヒーローは沢山いるのだ。

 最後に一言。ホランド先生(リチャード・ドレイファス)が手話で歌う「ビューティフル・ボーイ」、この1曲だけでも、音楽点は満点。

2008/05/29

ユー・ガット・メール(You've Got Mail)

ニューヨークでそんな恋がしたい

Youvegotmail  映画で観客に、その地に行きたいとか、そんな恋や人生を送りたい、とか思わせることが出来たら、それは映画製作者の勝ちだろう。ニューヨークを舞台にした恋愛ドラマ「ユー・ガット・メール」は、そんな視点からみれば100点満点の映画だと思う。

 ストーリーは、「そんなのあり得ない」といえる内容。顔を知らない相手とのメール交換で悩みを相談しあい、いつしか恋心が芽生える。同じ頃、仕事上のライバル関係にある異性と、口論する。ところが、そのメール相手とライバルが同じ人。でき過ぎです、そんな話。現実感は全くない。でも、そんな風に運命の人と出会うことがあったらロマンチックだなあ、と思わせる演出でもある。強気とキュートさを兼ね備えたメグ・ライアンの役、強引さと誠実さが同居するトム・ハンクスの役、異性なら憧れてしまうような人物設定は、女性監督(ノーラ・エフロン)ならでは、だろう。 

 舞台はニューヨーク・マンハッタンのアッパーウエストサイドと呼ばれる、ちょっとお洒落な街。スーパーマーケット「ゼイバーズ」も、カフェ「ラロ」も、公園も、ただの歩道までもがお洒落だ。こんな街に暮らしたい、と心底思え、実際ニューヨークに行って、その場所に立って、写真を撮ってしまった。私は完全に映画製作者の作戦にはまってしまった。

これが、2人が待ち合わせした「カフェ・ラロ」。
Lalo 


 そしてこれが、2人の「最悪な」出会い、スーパー「ゼイバーズ」。
Zabars

 インターネットでのメールのやり取りが盛んになり始めの頃なので、様々なインターネット犯罪もあまりなかったのも、この映画に好印象を与えたのだと思う。今なら、インターネットの闇や罪の部分が気になってしまい、そんな恋に憧れることが出来ないだろう。98年という時代を上手く映し出した名作だと言えよう。

ちなみに、タイトルYou've Got Mailとは、アメリカインターネットプロバイダー大手のAOLの新着メールメッセージ音だ。「メールが届きましたよ」というわけだ。本当なら「ユーブ・ガット・メール」だろうが、「ブ」は取って正解だったでしょうね。

2008/05/25

グリーン・マイル(The Green Mile)

スティーブン・キングの人間ドラマは見ごたえがある

「ショーシャンクの空に」のスティーブン・キング原作、フランク・タラボン監督の作品。超自然的な要素やミステリー風味を加えての、3時間を越える人間ドラマとなっている。一人の老人が昔を語る、と言う形で始まる、最後も昔話から現在に戻ってくるというストーリー構成は、昔からよくある手法だ。この手の作品は、現代に戻った後に、ちょっとしたエピソードが加わったり、どんでん返しがあったり、感動的なエンディングを迎えたり、となることが多い。この作品も、同様な演出をしている。(詳細はネタばれになるので、控えます)
Greenmile
 さて、この作品、人間ドラマでは不可欠の、詳細な人物描写がなされているか、というと、実はそうでもないのだ。幼女を殺害したと言う罪で死刑宣告を受け刑務所に入所してきた巨体の黒人男性コーフィ。その男がもつ、病気を治すと言う超自然な力が、少しづつ明らかになる。ところが、彼の性格も生い立ちも全く明かされることはないのだ。小さきもの、弱きものに絶対的な愛を注ぐ一方、力を誇示するもの、悪しきものには容赦のない仕打ちをする、という面だけが徐々に分かってくる。では、なぜ幼女殺人の罪で入所することになったのか、ひょっとしたらえん罪ではないのか、という疑問を最後までずっと観客に考えさせ続ける。それとも、彼は人間を越えた存在(ひょっとすると神ではなかったか)とまで思わせる程の深みがある。超自然的現象を元に、ミステリー風演出(脚本)を加えた作りは見事だ。

 この映画の主人公は、刑務所の死刑執行人役のトム・ハンクスなのだが、彼はむしろ観客側の代表者のような存在だ。つまり、先に述べた観客の視点そのままの存在なのだ。映画が進むにつれ、彼にどんどん感情移入していく。私たちは、彼の視点で映画を見ている自分に気付くのだ。

 では、この映画のテーマは何か。私は、善意を持った人間として生きることの苦悩、ではないだろうか。コーフィが、後半で「いろんな場所を放浪した。もう疲れた。」と語る場面がある。生き続けると言うことは、人の死を見届けることでもある。人の痛みが分かる、善意を持った人間は、不条理な(人の)死を目の当たりにすると、自分の力ではどうすることも出来ない無力感や、その時の苦悩に直面する。生き続けることは、苦しみでもあるのだ。「ショーシャンク」という刑務所で、生きることへの渇望を表現したキングとタラボンは、「グリーンマイル」刑務所では、生きることの苦しみを表したのだ。見事と言う他に、言葉が見つからない。

 ただ、個人的には、生きることの苦しさは日常生活で十分に感じていることでもあるので、生への渇望を表した「ショーシャンクの空に」の方が好みではある。本当に個人的な趣向なのだが。

2008/05/24

チャーリー・ウィルソンズ・ウォー(Charlie Wilson's War)

人間万事塞翁が馬

Charliewilson
 もし、この映画が、政治家チャーリー・ウィルソンではなくて、CIAの切れ者ガスト・アブラコトスが主人公だったら、かなりの傑作になったのではないだろうか。それが見終わった後の第一印象だった。
 もちろん、ガストを演じたフィリップ・シーモア・ホフマンの演技が、チャーリーを演じたトム・ハンクス以上だ、という理由からではない。2人とも好演していることは言うまでもないし、富豪夫人ジョアン・ヘリングを演じたジュリア・ロバーツも存在感は際立っていたし、チャーリーの秘書を演じたエイミー・アダムスはとてもキュートだった。
 私が注目したのは、登場人物の発言のあれこれだ。チャーリーの場合、ソ連軍によるアフガニスタン進攻に対して、国防の機密予算を動かせる立場を活かして積極的に行動したことは確かだが、彼自身の言葉にはとりたてて魅力的なものはなかった。ジョアンも、自らの信念に基づいた行動力は目を見張るが、反共&南部&白人&富豪&カトリックという絵に描いたような共和党支持者の発言の範囲を超えることは全くない。

 ところが、ガストの台詞はどれも示唆に富んでいる。登場初っぱなに上司と言い合う台詞では、冷遇されたギリシャ移民の意地や怒りが込められていた。ガラスをたたき割るシーンなどは見ているこちらも溜飲が下がった程だ。チャーリーがジョアンのパーティに出席する際にも、宗教信仰の厚い彼女達と付き合うのは危険だ、と進言したり、金持ちで暇を持て余している女性が信念に基づいて行動することほど厄介なことはない、とジョアンを評するなど、ガストの一言一言がどれも皮肉であったり、真実をついていたりするのだ。

Charliewilson2
 そんなガストの台詞の中でも、「禅の師匠と少年の話」の話が傑出している。馬を贈られて幸運そうな少年に、"We'll see."(いずれ分かる)と言い、その馬から落馬した少年を見てさらに"We'll see."(いずれ分かる)、ケガをした少年が戦闘に行かなくてすんだのを見てまた"We'll see."(いずれ分かる)。この話をチャーリーにすることで、成功した後には失敗の兆しが見える、ということを忠告している。これは中国の故事「人間万事塞翁が馬」からきているのは間違いないだろう。この故事では「いずれ分かる」ではない。幸運のあとに「これは不幸に繋がるやも知れぬ」と、不幸の後に「これは幸運に繋がるやも知れぬ」と老占い師は明確に言っている。そうアメリカから提供された武器で鍛えられたイスラム原理主義武装勢力が、911でアメリカを恐怖に陥れたのは、「不幸に繋がるやも知れぬ」どころではない。この故事を引用することで、ソ連軍撤退の後のアフガニスタンで学校を建て、アフガンの若者に教育を与える重要性を訴えたガストの主張の正しさが際立つのである。

 「最後にしくじってしまった」という意味深なチャーリーの台詞も、ガストの侏儒の台詞の前ではその存在すらかき消されてしまうほどだ。

最後にもう一つ。ソ連軍の飛行機が何機撃ち落とされたか、と画面に次々と表示されても、喜ぶ気にも、笑う気にも全くなれなかった。いかにも、功績のように演出された映像に同感は出来なかった。憎むべき対象は、末端の兵士たちではなく、そういう政策(軍事行動)を指示した彼らの指導者なのだ。

2008/05/16

最高の人生の見つけ方(The Bucket List)

「知らない人に親切にする」って最高の人生だよ

Bucketlist
 モーガン・フリーマンとジャック・ニコルソン、この2人が共演しているとなれば見に行くしかない、ということで公開早々映画館へ足を運びました。結論から言うと、その判断は正しかったですね。二人の演技は申し分なしです。ガンで余命6か月と宣告された2人は、おかれた立場も性格も家族構成もなにもかもが正反対。その2人が死ぬ前にやりたいことのリストを書き、富豪のエドワード(ジャック・ニコルソン)がほぼ強引に、カーター(モーガン・フリーマン)を連れて世界旅行でそのリストを実行する、というのがストーリー。世界各国の景勝地でのロケを敢行するなど、いかにもハリウッド的手法。この映画がつまらないと答える人は、たいていこの世界旅行のあたりが気に入らなくなるだろうな、とは思いました。実際、スカイ・ダイビングやタトゥー彫り、カー・レースは単なるおフザケ、ピラミッドやタージマハール、アフリカの大自然、万里の長城、チョモランマは単なる景色でしかありません。豪華絢爛なこれらのお話と景色は、むしろ映画評価にはマイナスにはなるかもしれません。

 この映画の面白さは、その世界旅行の中で交わす二人の台詞に隠されています。前半は、エドワードが徐々に自分の人生(結婚、別れた妻と娘)を語ることで、心を開いていきます。そして、ピラミッドを背景にカーターが得意の歴史うんちくを語り、天国で聞かれる2つの質問「人生を楽しんだか」「人に幸せをもたらしたか」をエドワードにする場面が、一つのヤマ場。この2つの質問は、心にグサッときますね。人間、たいていどちらか一方しか出来ていないじゃないでしょうか。エドワードは前者のみ、カーターは後者のみ、でしょう。

 でも、2人は気付くのです。実は自分が出来ていないもう一方が、自分のすぐそばにあったことを。つまり、エドワードは、自分のことをいたわってくれる妻への愛の中に人生を楽しむ方法があったと悟ります。カーターは、憎んでいると思っていた娘と再会することは自分の幸せだけではなく、娘の幸せでもあったことに気付きます。まさにハリウッド的な展開ではありますが、どこか遠くで思いっきり羽根を伸ばしてしたいことをするのが人生の楽しみ方でも生き方でもなく、目線をもっと下げて、日常の中に「最高の人生」を見つけることにあるのだと、私たちに教えてくれます。

Bucketlist2
 そして、「やりたいことリスト」の最後3つの叶え方が素敵です。「世界最高の美女とキスをする」は誰もが納得できるお話です。「絶景を眺める」も(予想通りですが)、この映画にふさわしいでしょう。何よりも私は、「知らない人に親切にする」の場面で涙が止まりませんでした。少しネタばれになるかもしれませんが、「知らない人」とは、お互いだったのです。カーターは、入院するまで全く見ず知らずの男エドワードがお金はあるが家族の愛を受けていない姿を見て、知らない人に親切にしようとして旅を共にしたんじゃないでしょうか。エドワードは最後にカーターのその気持ちに気付くのです。そしてエドワードもそのお返しをする。

 ビートルズの「アビーロード」に収録されている歌"The End”に、次の歌詞があります。
 And in the end the love you take is equal to the love you make.
 (結局、あなたが受け取る愛は、あなたが生み出す愛とイコールなんだよ)
自分が愛されたいと思うなら、それと同等(かそれ以上)の愛を人に捧げることが必要なのです。人生を楽しみたいのなら、同等に人に楽しみを与えないとダメなんです。そういう意味で、カーターもエドワードも、「最高の人生」を全う出来たのではないでしょうか。

 最後にタイトルについて一言。タイトルのThe Bucket Listは、「棺おけリスト」と訳されていますが、bucketとは文字通り「バケツ」の意味で、棺おけ(coffin)の意味はないようです。もとは、"Kick the bucket"首をくくろうとして台にした「バケツ缶を蹴っ飛ばす」、つまり「死ぬ」という意味。死ぬ前にやりたいことを書き留めたリスト、と言う意味で「棺おけリスト」と訳したわけです。なかなか味のある訳だと思いました。それを邦題でさらに、「最高の人生の見つけ方」。映画のテーマにピッタリ当てはまっています。

2008/05/14

ダ・ヴィンチ・コード(The Da Vinci Code)

 原作の方が断然面白い・・・3時間の映画にするには無理があった

322729view008
 ダン・ブラウンのベストセラー小説を映画化したこの作品、ほぼ原作に忠実に作られている。聖書からの引用やキリスト教に関する用語がたくさん使われているため、欧米のキリスト教徒には馴染み深い言葉でも、異教徒にとっては基礎知識の不足で、理解するのに時間がかかる。謎解きの説明の場面でも、テンポよく(というかあまりにスラスラと)解読していくので、観客は(特に異教徒にとっては)ストーリーに追いつくのに精一杯で、謎解きの細部が見えないまま進んでしまう。原作では、解読に失敗する場面もあるが、映画ではいとも簡単に解読。長編小説を3時間弱の映画にまとめるのだから仕方がないにしろ、原作の面白さが損なわれてしまったと言っても過言ではない。
 
322729_100x100_012
 原作小説でも物足りなかった点はある。それぞれの人物そのものの背景や人物描写がやや少ないのだ。特に、聖杯の謎を研究し続けている老研究者ティービングは、ストーリーの重要な鍵となる人物なのだが、描き方が甘い。映画ではイアン・マッケランが上手く演じ、説明はなくとも十分に人物の雰囲気を醸し出している。この点は原作を超えているか、と感じた。主演のトム・ハンクス、オドレィ・トトゥは完全にマッケランの演技に食われてしまったと思える。

  いずれにせよ、原作小説では、自分のペースで読み進めるわけだから、難しい箇所はゆっくりと読むことができ、ストーリーや謎解きに隠された細かな点までしっかり理解できる。そういう点からも、この映画は必ず原作を(先でも後でもよいから)読んだ方がよいだろう。

2008/05/11

ニュー・シネマ・パラダイス (Nuovo Cinema Paradiso)

  涙が止まらないエンディングシーン

 私が見た映画で、5本の指にはいる名作。監督のトルナトーレの自叙伝的映画で、映画ファンに共感と感動を与える映画だ。
Cinemaparadisodefilm1
 幼少時代をすごしたシチリアの小さな町で、子供の頃に映画好きにしてくれた年老いた映画技師アルフレッドと、後に有名な映画監督となる少年トトとの交流を描いている。狭い映写室で2人が小窓から映画を眺める場面や、映画館に入れない人たちのために、鏡を使って建物の壁に映画を映し出す場面、2つの町で同じ日に1本のフィルムで上映するという離れ業を青年になったトトが自転車で2つの町を往復して上映する場面、どれも映画が唯一の娯楽であった当時を偲ばせ、映画への愛情溢れる作品に仕上がっている。
 亡くなった映画技師の男性が、主人公に残した遺品がラストシーンで流れるが、この瞬間涙が止まらない。映画の主人公だけでなく、見ている者も感情移入してしまうこのラストシーンは映画史上に残る名シーンだと思う。このシーンのために、様々なエピソードがストーリーに組み込まれているといっても過言ではない。
 また、エンリコ・モリコーネ作曲の音楽も傑出している。古きイタリアの町並みと、モリコーネの作品がマッチして、映画の雰囲気を盛り上げている。多くのミュージシャンが、テーマ曲をカバーして演奏しているのもうなずける、名曲揃いのサウンドトラックである。「トトとアルフレッド」と言う1分少々の曲は、一度聞いたら忘れられない印象的なフレーズだ。(私は携帯の着信音をこれにしている。自分で音符を打って作りました!)
 この映画は、劇場公開では2時間程度の長さであったが、その後ディレクターズカットとして3時間ほどの長さでも発売された。両方見た感想では、劇場公開版の方がよいと思う。ディレクターズカットの方は、主人公トトの青年期のエピソード(恋愛話)が長くつづられているが、その部分がやや冗長な感じを受ける。その部分が大幅にカットされている劇場公開版のほうが、ストーリーのテンポがよく、お勧めだ。

2008/05/10

キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン(Catch Me If You Can)

 犯罪映画で爽快感を味わえる面白い映画

4_10224
 タイトルは「捕まえてごらん」。これで犯人側が主人公なのがわかる。追われる犯人はレオナルド・ディカプリオ、追いかける刑事はトム・ハンクス、この2人の出演とスピルバーグ監督、ということならヒット間違いなし、という典型的なハリウッド映画で、スピルバーグ監督の会心の一作ともいえる。犯罪者を主人公にしながら、こんなに爽快感を味わえる映画はないだろう。映画を見ながら、「犯人よ、つかまるな」と思えてしまう。というと、まるで「ルパン三世」を見ているようだが、この映画は実在の人物をモデルにしている、と言う点が驚きである。原作本を読んだが、映画で使われたエピソードはほぼすべて事実である。全く資格も知識もないのに、病院で当直医勤務をしたのも事実、弁護士の資格を取ってしまったのも事実、結婚を約束した女性がいたのも事実、フランスの刑務所で死にそうな目にあったのも事実だ。ただ、その順番や起こった場所は事実とは若干違っている。原作に基づき、映画のストーリーとして必要なものだけに減らし、時間経過などの並べ方を変えて、こんなエンタテイメント映画を作り上げたスピルバーグ監督の手腕には驚嘆するばかりだ。
240127view002
 また、警官たちの一瞬の隙をついて逃げ続けるディカプリオの口八丁、手八丁は実に爽快だ。それは、ディカプリオがよい意味で「軽く」(肩肘張らずに)演じているからなのだろう。これは、いやらしくねちっこく演じてはだめで、軽やかに演じないとだめだと思うが、それを上手に演じている。
 トム・ハンクス演じる刑事は、原作にはないキャラクターで、映画用に新たに作られたようだ。ギリギリまで追いつめて最後に逃がしてしまうので、刑事としてはポカだらけなのだが、むしろディカプリオの逃げ方が上手いのであろう。原作は映画ほど、捕まりそうでギリギリの場面はないが、上手く演出を加えてエンタテーメント性を高めている。
 ディカプリオの父役のクリストファー・ウオーケンが、意志の強い威厳を持った父親を演じている。その父親をを思う気持ちが強くあふれる点も、犯人に感情移入してしまう一因であろう。
 原作の内容を崩さず、さらに映画的演出を上手に組み合わせたスピルバーグ監督に脱帽、である。

2008/05/02

バック・トゥ・ザ・フーチャー(Back To The Future)

チャック・ベリーがマーティの演奏を聴く?

Bachtothefuture2
 映画Back to the Futureは、私のお気に入りの映画の一つです。多くの人が見た映画だと思うので、もうあえて映画の内容については特に深入りしませんが、その中で使われた音楽が映画のストーリーにちょっと絡んでいる所について書きます。

 まず、この映画のテーマソングは、ヒューイ・ルイス&ザ・ニューズの"Power Of Love"。主人公がダンスパーティのコンテストで演奏する曲もこれ。その時、審査員の先生役でヒューイ・ルイス本人が登場します。主人公マーティ役のマイケル・J・フォックスが演奏を始めてすぐに、「音が大きすぎる」と不合格を宣告するのがヒューイ自身。思わず吹き出してしまいます。

Backtothefuture
 それともう1点、マーティが1955年の過去に戻って、ダンスパーティで即興演奏する音楽が、チャック・ベリーの"Johnny B. Goode"。1955年にはまだ発表されていない曲です。これを聞いたミュージシャンの1人が電話をしている場面があります。そして「ヘイ、チャック。従兄弟のマービンだ。お前新しい音楽を探していたろ、これを聞いてみろよ」てな感じで字幕に流れます。が、英語を良く聞くと、「従兄弟のベリーだ」の部分は"Your cousin, Marvin Berry"と言っています。つまり、マービン・ベリーは従兄弟のチャック・ベリーに電話している、という訳です。音楽好きに、ムフフ、と笑わせるネタを仕込んであったのです。公開時に映画館で見た時は確か「従兄弟のマービン・ベリーだ」だったと思うのですが、ビデオ・DVDともに持っていますが、どちらも「ベリー」の部分は入っていません。これでは多くの人にこのアイデアを気付いてもらえないじゃないかなあ。
 チャック・ベリーがマーティの演奏を聴いて、アイデアを膨らました、なんて面白い発想でしょうか。もっとも、そんなことなくたって、実際にチャックはJohnny B.Goodeを書いたんですけどね。

2008/04/29

フリーダム・ライターズ(Freedom Writers)

人の痛みを理解すること、それで人間は成長する

Freedomwriters
 いわゆる「不良生徒たち」を更生させた実話をもとにした映画、という知識だけでこの映画を見た。
 日本でいうなら不良と言うより暴力団とでも言おうか、命を懸けてまで縄張り争いを続けるギャングの一味に加わってしまう少年たちがいる、という事実に驚き、がく然とした。しかし、人間は必ず成長する、心から悪い人間などいない、と思える映画だ。そして、それはほんの些細なことからスタートするのだということもわかった。感動的だった。彼らの恩師である新任教師ミス・G(ヒラリー・スワンク)の迫真の演技も素晴らしかった。
 多くのレビューではおそらく、「こんな教師がいれば、、、」云々の内容が書かれているだろうが、私はむしろ、少年少女たちの心の成長の仕方に感動した。彼らは誰か(先生のミス・Gであっても)の言葉に心動かされたのでなく、自分の心の痛みを素直に文章にするということで、そしてそれを誰かに伝えるということで、その辛さを自分で乗り越えなければいけないと理解したのだ。痛みは、人を(時には自分を)痛めつけることで癒されるものではなく、自分の痛みを客観視することで、それが自分だけでなく他者にも起こっている痛みであると理解できるのだ。そうなれば、痛みを分かち合える人と共感を持ち合えるのだ。そこまで成長すれば、誰のことばに対しても聞く耳をもつはずである。ホロコーストの生存者に耳を傾け、アンネ・フランクをかくまったオランダ人に尊敬の念を抱き、そして自分をもっと高めようと精進するのだ。だから、私が思うに、ミス・Gとの出会いがなければ成長するきっかけは高校時代になかったのだろうが、一旦成長が始まったら、だれがその子たちを担当しようと、聞く耳を持ったにちがいない。そうすると、今まで偏見を持っていた教師たちも、成長する筈である。Freedomwriters2
 映画Pay Forwardを思い出した。悪いことも伝播するが、良いこと(成長や幸せ)も伝播するのだ。人の痛みを自分の痛みとして感じとれる感受性が、人を成長させるのだ。そのことが実感できただけでも、この映画を見る価値はあった。 ただ、同僚の教師に成長する機会が与えられなかったこと、伝播する機会もなかったことだけが残念であった。彼らは決して悪人ではない。他の大多数の子どもたちには良い先生なのである。

 最後に、私は「仕事をとるか、俺をとるか」という夫には決してなりたくない。人の痛みがわかっていない証拠だから。と同時に、夫の痛みに気付かなかった(サインは幾度もあった)ミス・Gに同情するが、彼女も自分の未成長の部分を認識できたのではないか、と思った。

2008/04/21

大いなる陰謀(Lions For Lambs)

羊(のように臆病な司令官)に指揮されたライオン(のように勇敢な兵士)の部隊は怖くない

Lionsforlambs2
 首都ワシントンでの政治家とジャーナリスト、カリフォルニアでの大学教授と学生、この2つの討論と、その討論の元となっているアフガニスタンの戦場という3つの場面で構成された映画。トム・クルーズ、メリル・ストリープ、ロバート・レッドフォードという大スターの共演も話題。
  
 映画は正味90分ほど、そして映画の進行もほぼ同じくらいの時間経過、3つの場面が同時進行、とくればTVドラマ「24」の設定と同じ。違いは、メッセージと演出。

 この映画は、アメリカ現政権のアフガンやイラクにおける軍事行動に対する批判的メッセージであることは間違いない。それを、政治的だ、とか、民主党のプロパガンダだ、と批判するのは簡単だ。そういう側面があることは否定できない。ただ、それだからと言って映画製作者による問題提起から目を背けることは、無批判に現実を追認するだけになってしまうだろう。

Lionsforlambs3
 トム・クルーズ演じる保守党政治家は、戦いを始めたら負けてはいけない、強いアメリカでなくてはならない、という考え方の象徴。そして、アンドリュー・ガーフィールド演じる大学生は、政治に絶望し無関心を装いつつ現状の生活の中にだけ喜びを見いだすという考え方の象徴である。これが、おそらくアメリカの主流。
 それに対して、メリル・ストリープ演じるリベラル派のジャーナリストは、報道と収益(または経営)の狭間で苦しみながらも、真実を追究しよう、批判精神は持ち続けようと言うジャーナリスト魂の象徴。ロバート・レッドフォード演じる大学教授は、教え子を戦場に送ってしまった罪悪感と、学生に対する影響力の低下を嘆く、アカデミック界の象徴だろう。もちろん、製作者であるクルーズやレッドフォードはこちらの立場に自らを重ねていると見て間違いない。
 この2つの対立が、まさにアメリカ、いや日本においても日常的なものだ。そして、お互いの意見をこの映画のように、「さし」で討論することがなくなりつつある現状に警鐘を鳴らしているのだ。一切の演出やエンタテーメント性を排除し、ストレートに「討論」という形式で提示したのだ。

 原題の、Lions For Lambsは「羊によって率いられたライオンたち」で、第1次大戦にイギリス歩兵部隊を見殺しにしてしまったイギリス軍司令部について批評したドイツ軍人のことばから引用しているそうだ。曰く、「羊(のように臆病な司令官)に指揮されたライオン(のように勇敢な兵士)の部隊は怖くない。怖いのは、ライオン(のように賢い司令官)に指揮された羊(のように従順な兵士)の部隊だ」。力の無いものほど、臆病な者ほど、自分の力を誇示するものである。今や唯一の超大国となったアメリカ、その政権に対し容赦ない罵声を浴びせたと言っても過言ではない。よほど自分たちのポリシーに自信がなければこんな映画は作れない。その意気込みは、出演者たちの迫真の演技に現れている。恐ろしいほどの迫力だ。

 ただ、あまりにも一切の演出やエンタテーメント性を排除し、ストレートに表現したために、難解だ、面白くない、と批判されるのは目に見えている。対照的なのは、マイケル・ムーア。「華氏911」はドキュメンタリーの手法を用いた政権批判映画だと言えるが、単なる批判ではなく、それをクスっと笑わせるような、皮肉たっぷりの映像で表現した。
 ムーア監督ほど、キテレツにしなくてもよいが、志願兵としてアフガンに向かった大学教授の教え子2人のエピソードをもう少し掘り下げるなどすれば、ストーリーに深みができ、彼らへの感情移入がもっとできたのではないかと思うのだ。20分もあれば、そんな演出も出来たのではないだろうか。なぜなら、志願兵となった学生はアフリカ系とメキシコ系、まさにアメリカの底辺の象徴なのである。彼らの犠牲の上に今のアメリカの平和が守られているのだ。これほど象徴的な存在はないはずだ。だからこそ、もっとストーリーを加えて欲しかったのだ。

Lionsforlambs
 最後に、2つの討論の後の場面に注目してもらいたいと思う。 
 ストリープ演じるジャーナリストが、取材後に編集長に対して見せる情熱的な演技は圧巻である。ホワイトハウスと兵士の墓地をタクシーから眺める時の表情は、製作者たちの表情でもあろう。
 大学生と教授の討論のあと、テレビの芸能ニュースの画面で米軍のアフガン新作戦が行われたことをテロップで流す場面は、アメリカや日本を始めとした西側諸国の現状を如実に表している。そう、戦争はすでにニュースでしかなくなっているのである。大学生が見せる表情こそ、我々の表情なのだ。

2008/04/14

フィクサー(Michael Clayton)

よく練られた脚本に感服と驚嘆
 Michaelclayton
 ジョージ・クルーニーのアカデミーノミネート作品。法律事務所の裏稼業人(フィクサー)が主人公のこの映画、日本語のチラシで、その仕事振りにかかわって事件が起きる、と思って鑑賞しました。が、いい意味で裏切られました。そもそも原題はMichael Clayton、つまり主人公の名前。観賞後の感想として、サスペンスというより、人物描写を中心とした人間ドラマを楽しませてもらった、という印象です。まず、脚本が良く練られていると感じました。いきなり、何のことだかわからない電話の声で始まり、怪しい雰囲気の賭博場の様子、裏仕事の依頼が入り現場に向かう、そして事件が起こる、と、何が何だかわからないまま映画がスタートしたところで、観客に謎を残したまま、過去に戻り、順にストーリーを進めて行く。よくある演出なんだけれど、この謎説きが実に巧妙にその後明かされていくのです。監督脚本のトニー・ギルロイの綿密に計算されたアイデアに唸りました。
 主人公マイケル・クレイトン(ジョージ・クルーニー)の人物描写も過不足なく表されています。裏稼業に回された経緯とそれに伴う彼の苦悩、別れた妻との間の息子への愛情、弟や従兄弟に対する複雑な感情、同僚弁護士アーサーを心配し気づかう様子などが長すぎない程度の様々なエピソードで紹介されます。彼がとる最後の決断も、そうしたエピソードを並べた後ならば、ごく自然に受け入れられます。特に、息子が大好きだった冒険ファンタジー小説「王国と征服」の一節を息子がマイケルに語る場面、アーサーにも電話で語る場面があるが、それらが大きな意味を持つ場面であったことが、アーサーの身に大事件が起こった後にわかるようにできています。その一節とは、「王国の中では誰が敵か味方かわからない。信用できるのは自分1人だ。」「正義を進めるために、人々を結集する」(うろ覚えなので正確ではないかもしれません)で、マイケルにとってもアーサーにとっても自分の決断のひとつのきっかけになったと思えます。そして何より、その小説の中の馬の挿し絵がマイケルの命を救うことになったことで、彼の決断はハッキリしてくるのです。綿密に練られたストーリーなのです。
Michaelclayton2
 また、適役の農薬会社法律顧問のカレンを演じるティルダ・スウィントンの人物描写も巧みでした。強気一辺倒に見えるカレンが身体の震えを止められずに部屋やトイレで見せる不安げな様子は、悪事に手を染めながらも良心の呵責に苦しむ姿を端的に表現したと言えます。この時の演技だけでもティルダ・スウィントンのオスカー受賞当然、といった印象を受けました。
 ただ、気になった点を挙げるとすると、農薬会社サイドで悪事を働く実行犯とカレンが直接やり取りする場面でしょうか。同じく製薬会社にまつわる犯罪を描いた「ナイロビの蜂」のように、直接手を下さず、実行犯はさらに「下請け」に出す、という方がリアリティがあるような気がします。単にもう1人のフィクサーを間にはさんで指示を出せばよいのですから。
 カーチェイスもなく、銃の撃ちあいもなく、犯人探しの謎もなく、派手な盛り上がりもない、ある意味淡々とストーリーが進む映画なので、眠たいだけの、よくわからない複雑な映画と言う印象しか残らないかもしれません。でも、ストーリーの様々な仕掛けに気付けば、この映画のよさがわかってもらえるのではないでしょうか。

2008/04/13

ミス・ポター(Miss Potter)

イギリス湖水地方に行きたくなった

Misspotter

 レニー・ゼルウィガーのキュートな魅力が存分に発揮された映画だ。彼女が演じるビアトリクス・ポター役は、表面的には気が強く、信念を持った行動をとるが、内面は気弱で繊細な心を持つ女性だが、それを見事に演じている。レニーファンは大喜びすること間違いない。
 何よりこの映画の魅力は、ビアトリクス・ポターがピーター・ラビットを描くのにインスパイアーされたイギリス湖水地方の暮らしと風景が、本当に魅力的に描かれているという点である。蒸気機関車が田園・湖岸を走る様子、幼少時代および大人になってからのポターが、湖岸を歩く様子や避暑地として過ごす家、遠景で映し出す風景、どれも美しい。映画の撮影地に行きたくなる映画の一つであることは間違いない。
 また、これだけ自然の美しい映像を見せられたら、ポターがナショナル・トラストで自然保護の運動に力を入れているのも頷ける。自然保護運動に打ち込んでいく心情は、台詞ではそんなに多く表現されてはないが、映像でそれを上手く伝えていると思う。ポターの悲しみ・苦しみ・悩みそして喜び・情熱などが表される場面では、必ず湖水地方での暮らしの場面が思い出されるような映像が挿入される。監督クリス・ヌーナンは映画「ベイブ」で主人公の農夫に多くの台詞を語らせず、表情と情景で彼の性格を描き出した。今回もその手法をとっていると考えてよいのではないか。ヌーナンの真骨頂と言える。
 また、話題になった、アニメーション合成映像は、期待したほど面白くも衝撃的でもない。むしろポターの伝記的映画に、空想的な雰囲気を醸し出すための1アイデア程度のものと考えた方がよさそうだ。そう意味では、ポターがピーター・ラビットを創作する心境を上手く表すための映像だと言える。
 惜しむらくは、ユアン・マグレガーの存在感が薄かったことだろう。それは、ユアンの演技力のせいではなく、脚本・演出面での弱さと見た。2大トップスターを主演と助演に配した割には、ポターが恋心を寄せたユアン演じるノーマンの描き方があまりにも貧弱である。レニーファンは満足できる映画でも、ユアンファンには物足りないかもしれない。

2008/04/11

8マイル (8 Mile)

ラップの本質がこの映画の中にある 
8mile
 
 白人ラッパー、エミネム主演の自伝的映画。デトロイトの通称8マイル・ロードは、貧民層の住む地域と、富裕層の住む地域の境目。その貧民層で生まれ育ったエミネム演じるジミー(通称ラビット)が、黒人ラッパーに挑戦していく物語。
 とにかく、貧困の度合いに驚く。アメリカにおける貧富の差は、日本の比ではない。黒人やヒスパニックなどの移民に貧困層が多いのだが、ラビットのようにpoor whiteと呼ばれる白人貧困層も、出口のない暗闇に放り込まれたようなもの。ラビットがそんな中でも夢を無くさず、現実にもしっかりと向き合い、懸命に生きている姿に、エールを送りたい気分になる。働かない母、幼い妹を思う気持ちも痛い程よくわかる。エンディングもアメリカンドリーム達成でハッピーエンド、という単純なものでもなく、日常生活に戻っていく所にリアリティを感じることができてイイ。ただ、母親の恋愛話や、新旧ガールフレンドとのストーリーはやや軽薄な印象でしかなく、物足りなさを感じる。

 ひとつの発言に1回はf**kという猥語が出てくるような、汚いことばのオンパレードなのだが、何でもかんでもラップにして、ライム(韻)を踏ませようとする言葉の操りには脱帽だ。映画でラップを語る場面で、何度もskill(スキル:技能)と言うことばがでてくる。韻を踏むラップの歌詞(リリック)を作って歌う技能のことをスキルと呼んでいる。言葉は汚いが、言葉の音に敏感である、というのは一種の文学的な雰囲気を醸し出していると感じる。現状に対する不満と怒りを表し、相手に対して攻撃的なリリック。そんなラップの魅力を十二分に見せてくれる映画だ。
 
 エミネムは実際、地元で懇意にしていたラッパーと、自分が有名になった後にアルバムを共同製作している。昔の仲間との強い絆を表すエピソードだ。苦楽を共にした仲間は、一生の友なのだ。
 ただ、同性愛者への攻撃的で差別的な発言は、自身が差別された、虐げられたことヘの裏返しであるにしろ、戴けない。音楽に魅力は感ずるが、その発言は全て受け入れられるものではない。差別されたものが、また誰かを差別する、のでは、差別は無くならないし、問題の解決にはならないのだ。

2008/04/07

プロヴァンスの贈りもの(A Good Year)

話の筋は予想通り、でもなぜか心が和む映画

A_good_year_2
 リドリー・スコット監督、ラッセル・クロウ主演とくれば、アカデミー賞「グラディエイター」、と最新作「アメリカン・ギャングスター」が有名だが、その間に作られたのがこれ。ピーター・メイルのベストセラー同名小説を映画化したものだ。
 イギリスのやり手の証券マンが、南仏に住む叔父の遺産を相続したことから、昔叔父と過ごした日々を思い出しつつ、南仏のゆったりとした暮らしの中で、現地の女性との愛を芽生えさせ、人間らしい生き方を見つける、というストーリーである。
 ストーリー展開は、予想通り、というか、まあ「これしかない」だろう。最初は反発し合う男女が恋に落ちるというのも、典型的なラブ・コメ映画だし、回想シーンと現実を同時展開して話を進めるのもよくある流れ。エンディング間際で大どんでん返し、もありきたり。でも、見ていて、つまらないとか、面白くないとかは思わず、心が和んでハッピーな気持ちになれるから不思議である。
 それはきっと、南仏の田舎のどかな風景と、その土地に住む人々のゆったりとしたロハスな暮らしぶりを、自分自身心のどこかで望んでいるからなのだろう。主人公と違う職業であっても、職場でのストレスや悩みや苦労は同じようなもの。分刻みのゆとりのない都会での暮らしに辟易している姿も同じ。仕事を取ったら何も残らない仕事人間、携帯電話を無くしたら暮らせない現代人、という主人公に自分を重ね合わせ、そんな状態を解消したいと心のどこかで思っているからなのだろう。そんな叶えられない夢を追ってくれる主人公に、エールを送りたい気分になるからなのだろう。
Agoodyear2
 また、幼少の頃世話になった人(この映画では主人公の叔父)が亡くなった際に、想い出の場所(この映画では南仏の叔父の家とワイン畑)で昔を懐かしみ、あこがれていた夢を思い出す、というのは、多かれ少なかれ誰しも経験があるのではないか。そんな、人の心の琴線にそっと触れるストーリーが、我々に心地よさを感じさせてくれるのだと思う。また、叔父が語る人生の教訓ひとつひとつが心にしみる。主人公が、叔父との思い出の中から、窮地を救う作戦を思いつくというネタもしっかり仕込んであり、「実はあの○○が、、、、」というビックリ種明かしもちゃんと用意されている。ただ、それらが「ニュー・シネマ・パラダイス」程、感動的ではない、かなと思う。
 
 ラッセル・クロウは、「グラディエイター」とも、「ビューティフル・マインド」とも違うタイプの主人公役を無難にまとめた、という印象である。むしろ、彼の幼少時代を演じたフレディ・ハイモアや、彼の叔父を演じたアルバート・フィニーの情感あふれた演技が光る。逆に、主人公と恋に落ちる女性役のマリオン・コティヤールは、「タクシー」で見せたのと同じ気の強い女性、という印象が強すぎて、ワンパターン化しないか心配になった。(が、そんな心配も取り越し苦労だった。先日彼女が熱演した「エディット・ピアフ」でアカデミー賞主演女優賞を受賞したのは、喜ばしい。)

 また、タイトル"A Good Year"(タイヤメーカーじゃないよ)は「収穫のよい年」という意味で、叔父と過ごした古き良き時代を懐かしむという意味でつけられたのではなく、ブドウの収穫(ワインの完成)と恋の「収穫」をかけているのかな、と思うがどうだろう。カギになる場面で、ワインが重要な役割を担っているのだから。

 ちなみに、舞台の1つとなっている南仏リュベロン地方のゴルド(写真をご覧下さい)という街は、岩でできた小高い丘を利用して作られた街で、南仏観光の名所となっている。私も昔南仏旅行の際に訪れたことがあるが、こんな所に住んで見たいと思える、お洒落な街である。もう一度南仏旅行をしてみたくなった。
Gordes_2

2008/03/30

マイ・ブルーベリー・ナイツ(My Blueberry Nights)

一瞬一瞬の映像を楽しむ映画・・・映像と音楽がマッチしたおしゃれな映画

 ウォン・カーウァイ監督初の全編英語での映画。歌手ノラ・ジョーンズ初の主演映画。
ノラ以外は、ジュード・ロウ、レイチェル・ワイズ、ナタリー・ポートマン、デビッド・ストラザーンといった芸達者の面々。ストーリーはどうでもいいので、俳優陣を見るために鑑賞した。
Myblueberrynights

 予想通り、ストーリーは男性の目から見ても、おそらく女性の目から見ても、現実離れというか、甘いというか、単純というか、コメントに窮するような内容。

 でも、この映画の鑑賞の仕方は、内容ではなく、一瞬一瞬の映像を見るというのが正しいのだろう。映像主義とでも言えばいいのか、それともイメージ第一主義とでも言うのだろうか。例えば、
(1)夜、地上の高架を走る地下鉄が遠景で写される映像が早送り気味に流れる。都会の時間はすばやく過ぎる、人は忙しく動く、というイメージを一瞬で映し出してる。
(2)登場人物の心が微妙に動く場面では、映像がスロー(というかコマ送り気味)になる。何かに気付いた時、感じた時には、時間がゆっくり動いていると思いませんか?そんなイメージを一瞬で写している。
(3)そして、この映画を見た人なら必ずググッと心動かされるエンディングでのキスの場面。実は、2人は前に一度キスしているんですね。それはいつなのか、エンディングの時に気付くようにする仕掛け。見事! この部分を見るだけでも、この映画を見る価値あり。
(4)そして、それらの映像にかぶせて、ノラの歌声の楽曲(ノラの声ではない曲もあるが)が流れる。完璧。

 それに、メンフィスで主人公が自分の名前を「ベリー」と名乗っているのがイイ。ブルーベリーのベリー。エリザベスなら普通ベスかリズ。ニューヨークのブルーベリーパイに心残りをしている、新しい自分を探す、という感じが出ていて、センスのよさを感じる。アリゾナでは「エリザベス」と名乗っているので、自分をしっかり見つめ直せて再出発できそうだ、ということなのだろう。

 俳優陣は皆申し分ない演技を見せている。ジュードなら何を調理しても美味しそうだし、強気と弱気を見せるレイチェル、ナタリーの演技もいいし、映画初出演とは思えないノラの自然な演技。中でも、ストラザーンが、元妻のことが忘れられない警官の心の陰陽をうまく表現して演じている。もっとも、これだけの面々なら当然、ともいえるが。正直、ぜいたくすぎるのかもしれない。

 ただ、そんなカーウァイ監督らしいイメージ第1主義的な映画なのに、せっかくニューヨークロケなのに、ニューヨークらしさは地下鉄の遠景程度なのはちょっと不満だ。ブロードウエイとかセントラルパークとかじゃなくてもいいから、さりげなくニューヨークらしさのある雑踏風景を見せてもよかったのじゃないかな。メンフィス、ネバダ、ベガスでも同様。(唯一、ラスベガスへの道路沿いの風景だけはそのイメージが良くでていた。)時間経過も、他だ単に画面で数字と文字(それなりにお洒落に表示してはいるが)は、イメージ第一主義からはかけ離れているように感じる。 最初は全編ニューヨークロケで取る筈だったが、予算の関係で他のシーンを入れた、らしい。私が感じた不満はそのせいだったのだろうか。

2008/03/28

ショーシャンクの空に(Shawshank Redemption)

「生きるために生きるか、死ぬために生きるか」 まさに不朽の名作
Shawshank

 2時間が長いと感じられずにじっと見入ってしまう映画だ。どれも抜かすことのできないエピソードを組み合わせて、ストーリーが進んでいく。無実の罪で服役する若き銀行マンのデュフレーンにまつわる話が、囚人仲間のレッドの目で語られている。刺激的な映像もなければ、時間軸も一切ずらさず、いたってシンプルな構成になっている。
 
 私がもっとも印象に残っているのは、メキシコのジワタネホという海沿いの町について語られる場面である。そこで、小さなホテルを営みながら余生を過ごしたい、と主人公が夢を語る。「生きるために生きるか、死ぬために生きるか。僕は生きるために生きる方を選びたい」とはデュフレーンの言葉。ここ(刑務所)では夢を持つことは危険だ、と考える囚人仲間のレッドとは好対照。この会話の場面が映画のラストシーンとうまくリンクしている。これが映画のテーマなのである、ということがわかる。どんな状況でも夢をあきらめてはいけない、というメッセージが、様々な悲劇的なエピソードを織り交ぜながら、強く伝わる映画である。

 原作はスティーブン・キングの短編集の中の一つであるが、原作とはエピソードなどに若干の修正が加えられている。囚人仲間トミー、デュフレーンの錬金術、逃亡の方法、所長の最期、ラストシーンなどが原作よりもドラマチックに仕上がっている。特に錬金術については、原作ではデュフレーンがレッドに自分の親友のことを語る場面で紹介されるのだが、そのまま映画では使いにくかったのだろう。原作にあったエピソードを利用して変更を加えている。ラストシーンも、テーマをはっきり際だたせる効果があり、付け加えて正解だったと思う。遠景で、何の台詞もなく二人が抱き合う場面は、映像ならではの演出ではないだろうか。

 デュフレーンを演じるティム・ロビンス、レッドを演じるモーガン・フリーマン、2人の名優の演技を見るために作られた映画、と言ってもいい。ロビンスは、口数少なく感情を面に表さないデュフレーンの役を、目や表情でうまく演じている。重厚で落ち着いた雰囲気のレッド役は、フリーマンしか適任はいないだろうと思えた。特に、仮釈放後に徐々に希望を持ち始めるという心境の変化を、抑揚を押さえながらうまく表現している。この映画が名作なり得たのも2人の演技力に負うところが多いだろう。

 多くの映画ファンが、この映画をナンバーワンであると挙げるのも頷けるほどの名作であり、今後も語り継がれていく映画だと確信している。

2008/03/26

ブラッド・ダイアモンド(Blood Diamond)

メッセージ性は高く、我々に問題提起してくれる作品。でも、アメリカ的ご都合主義が目に付く。

 映画のテーマ性もあり、期待して鑑賞したのだが如何せんストーリーが単純すぎる。ディカプリオ自身は、役作りも含めて上手に演じていると思うし、他の出演者(ジェニファー・コネリー、サイモン・フンスー)もいい演技を見せているだけに、惜しい。
Blooddiamond
 まず、シエラレオネの密輸売人としてのディカプリオ主人公白人の行動。反政府組織