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映画タイトル別一覧

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    外部HPに、当ブログの映画レビューの記事「映画タイトル別一覧」を作りました。

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映画

2011/03/05

英国王のスピーチ(The King's Speech)

国王は神ではなく、一人の人間である
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 国王、それに王位継承者も、完ぺきな人間であるはずはないんですね。欠点もあれば、問題行動もある、普通の人々(common people)と同様、か弱き一人の人間なんですね。現人神ではないんです。

 ジョージ5世が息子バーティ(後のジョージ6世)を叱りつけるシーンが冒頭にありました。そんな強権の父親、晩年は認知症であったような描写がされています。悲しいかな、王位にある人でも、至れり尽くせりの医療を受けようとも、かかってしまう病気はあるのです。

 バーティの兄エドワードも、人妻(妖しい響き!)に心動かされ、ついには結婚してしまいます。経済的に恵まれた王位継承者も、よくある世間の不倫をしてしまうんですね。

 そして、この映画の題材となった、ジョージ6世自身の吃音。こういうものは、王室としては隠し通したいことでしょう。たとえ隠せなくとも、もっと「美しく」描くものでしょう。ところが、普通の人々と同様な治療を受け、その治療の方法に対して感情をあらわにし、Fワードまで口走ってしまう、なんてことは(一つ間違えば)王室の権威そのものが下がってしまいかねないわけです。その苦難を克服する過程が美談だからいいじゃない、と言われるかもしれないが、どこぞの隣国の北の将軍様とその息子さんでは、絶対に、絶対に、あり得ません。日本だってタブー視されます。このように、国王を一人の人間として描くのは。王室(日本では皇室ですが)の許可が得られないだけでなく、いわゆる「その周りの人たち」からの圧力(というか「脅し」というか)があるでしょうから。

 しかし、英国なら出来てしまうんですね。そこが素晴らしいところ。国王であっても、一人の人間として、悩み、傷つき、怒り、、、、。そういう普通の人と同じく、ちょっと情けない行動をとるんだ、ということを見せてくれます。そこにこの映画の意義があるんでしょう。日本も、どこぞの北の隣国も、見習って欲しいものです。

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 この他、印象に残ったことをいくつか。

(1)ジョージ6世を演じたコリン・ファース、こういう「ちょっとひ弱な男」を演じさせたら、彼の右に出るものはいないでしょうね。アカデミー主演男優賞、納得の演技です。

(2)その彼が、王位を継承した直後に2人の娘たちと顔を合わせた際、いつもなら駈けよって来る2人が、国王への礼儀を示し、駆け寄るのを躊躇した場面があります。その時の、彼の寂しそうな表情、絶品です。

(3)久々に、英国の綺麗な英語発音「クイーンズ(キングズ)・イングリッシュ」を聞きました。アメリカ式の、舌を「こね繰り回す」発音より、英国式発音が私は好きです。こっちの英語が「スタンダード」であって欲しいなあ。真面目な顔してFワードを発する国王と、英国式発音の綺麗さのアンバランスが。何とも面白かったですね。

(4)英国人が、オーストラリア人を蔑視する姿、当時の現実でしょうが、悲しいものがありました。いつの時代も、「自分より下」の層を作ることで、自分の権威を保とうとするものなんですね。人間の浅ましさを見ました。

2011/02/22

ヒアアフター(Hereafter)

エンディング、私ならこう解釈します!
(ネタバレありです)

 約9ヶ月ぶりに記事を書きました。この間、記事を書く元気がなかったのと、書きたくなる欲求に駆られる作品(良い意味でも悪い意味でも)に出会わなかった、というのが、記事休眠の理由です。復活のきっかけは、クリント・イーストウッド監督の新作であるこの作品!

337959view005  クリント・イーストウッド監督は一筋縄ではいきません。賛否両論のあるエンディングを用意して、こう言っているんですね。「俺はこう考える。さあ、あんたは、あんたならどうする」と観客に問いを投げつけるんです。そこが、彼の映画を楽しめるツボなんですね。

 今回もやってくれました。
 ただ、今回は本来ならネタ明かしすべき所を、監督は隠しました。あえて、隠した、と私は見ました。映画を観た人だけに語りますので、見ていない人は絶対に読まないでください。

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337959view001 ジョージがマリーに送った手紙には、何が書かれていたか。あえて隠したんでしょう。さて、なんと書かれていたか、あなたならどう考えるか、というわけです。
 私は、こう考えました。

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 マリーさん

 あなたの著書を読みました。津波にのまれ、臨死体験をされたとのこと。その際に見た光景が、死後の世界(the hereafter)ではないか、という思いが離れられないのですね。

 実は、私は死後の世界が見える霊能力を偶然に持ってしまいました。「持ってしまった」というのが正しい言い方です。一時は霊能者として多くの方の依頼で、死者と交信したのですが、それは依頼者にとっては希望の叶うことでしょうが、私にとってはcurse(呪い)以外の何者でもありません。辛いのです。そのために、片頭痛は止まらず、不眠に悩まされます。
 その私が見た死後の世界は、あなたが体験したものと同じなのです。あなたの考える死後の世界は、私の見たものと全く一致します。
  そして、もう一つお話したいこと。それは、あなたもその臨死体験の中で、ずっと心に残っていることがあるのではないか、ということです。それは、助けられ なかった女の子のこと。私は手を握ることで、その人の忘れられない死者のことが見えます。ブック・フェアであなたにサインをしていただいた際、あなたの手 に触れました。その時、女の子が見えたのです。手にぬいぐるみを持った、アジア系の女の子が。その子への、なにがしかの思いが今のあなたの行動に影響を与 えているんではないかと。
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 さらに、私ごとになりますが、私の見る死後の世界を体験(かいま見た)あなたは、ひょっとすると、私の悩みの解決のお手伝いがしてもらえるのではないかと思うのです。同じ悩みというわけではありませんが、私の気持ちを理解していただけるのは、あなたしかいない、と。

 お会いして、お話がしたいと思っております。

                  ジョージ
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 そ して、彼はマリーに会いました。そして、彼女を見た瞬間に、死後の世界ではなく、未来が見える、ひらめく、という感覚が湧きました。過去ではなく、未来に 向けて生きる力が沸くのです。最初は手を握ることで、また見たくない死後の世界を感じることを恐れた彼ですが、手袋を脱ぎ、未来を感じるのです。
 マリーにとっても、臨死体験以降、自分を理解してくれる人に出会えないまま、悶々とした思いで暮らしてきた所に、自分の考えを理解してくれる人に出会え、喜ぶのです。

 というのが私の答え。いかがでしょうか。

2010/05/01

プレシャス(Precious)

生まれた子どもはみなプレシャス(貴重)  
    ネタバレありです。  
335599view002  この映画のストーリーは、サファイアによる小説『プッシュ』を元にしているそうですね。この小説、現実に起こっている様々な問題を、プレシャスという一人のティーンエイジの女性に投影させたフィクションストーリーとのことです。
 映画版でのタイトルのpreciousは主人公(クレアリース・プレシャス・ジョーンズ)のミドルネームであると同時に、「貴重な」という意味でもありますね。親から虐待を受けてきた娘がプレシャス、だなんて、これは(1)現実とは違う想いを子どもにつけたのか、それともごく普通に、(2)そうなって欲しいという思いで名付けたのか、どんな意味なのかなあ、と考えました。映画のトレーラーなどから推測するなら(1)なんだろうなあ、と予想しつつ観賞していましたが、映画の後半、どんでん返しがありましたね。母親の思いが吐露された際に、プレシャスが生まれた時点では確かに(2)だったんです。

 そう、この世に生を受けた子どもは、親にとってはprecious(貴重)な我が子なんです。

335599view003_2    それが、不幸な事件(犯罪ですが)により、そのプレシャスさが逆転してしまうという現実。可愛さあまって憎さ百倍、とも言うように、強い愛情が一つのきっかけで反転する恐ろしさ。そんな現実を見させられました。うーん、見ていて辛い、、、、。
 日本でも今、我が子・幼児虐待の事件が報道されない日はありません。レイプ、とまではいかなくても、何かのきっかけで愛情から憎悪に変わっていってしまった経過があるのでしょう。これを解決する方法は何、、、と考えさせられました。実に重い、、、。

20100105005fl00005viewrsz150x  でも、プレシャスが、最初から最後まで、父からのレイプによって生まれることになった2人の子どもに、愛情を注ぎ続けます。「誰からも愛されていない」と思っている彼女にとって、子どもはprecious(貴重)そのものなんですね。過酷な人生であっても、純粋に生きている、我が子を愛するプレシャスの姿に、希望の光が見えます。

 さらに、子どもへの愛情とともに、学ぶことへの喜びを見いだす所も素敵なんです。彼女が学ぶ代替学校の名前であるEach One Teach Oneとは、教育を受ける機会のなかったアフリカ人に、教育を通じて無学からの脱却を図り、社会的な地位を向上させようという運動のスローガン的な言い回しだそうです。絶望からの脱却の第一歩は教育、なんです。それを伝えようとしているこの映画に、希望の光が見えます。

 父親(母のボーイフレンド)から受けたレイプのトラウマから、現実からの逃避を意味する幻想を見るプレシャス。その映像が中盤過ぎまで所々に、それこそ突然に挿入されます。幻想の中では、彼女はスーパースターであり、カッコいいボーイフレンドがいて、時にはブロンド髪のスタイル抜群の白人女性だったりするんです。その映像の意味が何だろうと、映画鑑賞中ずっと考えていました。
335599_100x100_004  その幻想は、後半になくなりました。プレシャスが、辛い現実の中から、母親から離れ、教育を受ける喜びに希望を見いだし、我が子と暮らすことに希望を見いだしたことで、過去のトラウマが消えていく、ということでした。現実と向き合いながら、前向きに進もうとするプレシャスに、もう幻想は要らない、ということなんだ、と気づきました。

 過酷な環境でも希望の光を見いだそうとするこの映画、実にpreciousです。

 最後に一言。母役のモニークの熱演も見ものですが、マライア・キャリーがノーメークでソーシャルワーカー(福祉課の職員)役を演じる姿もなかなかです。

2010/04/16

シャッター・アイランド(Shutter Island)

(ネタバレしています。注意!)
デニス・ルヘイン原作、深い心理描写に酔う!(ミスティックリバーとの共通点と相違点)

Shutterisland1  まず、デニス・ルヘイン原作、といえば思い出すのが「ミスティック・リバー」。殺人事件の犯人は誰なのか、怪しいと思わせて最後に違う犯人を種明かしさせた。そのどんでん返しはミステリーの王道でもあるのだけれど、彼の作品の特徴は、読者に(観客に)犯人だと思わせた人物の心理に深く迫っている点でもある。しかし、そこに、単なる謎解きゲームではない彼のミステリー小説の面白さがある。ゆえに映画化にあたっては、その心理をうまく演じられる演技派俳優が重要となる。ティム・ロビンス、ショーン・ペン、マーシャ・ゲイ・ハーデンでなければ傑作たりえなかっただろう。

Shutterisland3  そう考えると、今回の作品「シャッター・アイランド」もその延長線上であることは確かだ。殺人事件の犯人も冒頭で思わせていた人物とは異なるし、何より主人公の立場そのものが冒頭の設定とは異なっている。ましてや今回は、精神疾患という犯人(この言葉が適切かどうかは悩むが、とりあえずこう表現しておく)を用意してきた。ただ今回は、真犯人と思われる人物が始めから画面で匂わされるので、犯人探しの面白さはないかもしれない。主人公の過去に何かあるんだ、と冒頭から何度も見せられるからだ。だから映画の観点は、その心理をどう表現するのか、また犯人と知っていて対応する登場人物たちの演技力・表現力が重要となる。そういう点では、レオナルド・ディカプリオ、ベン・キングズレー、マーク・ラファロの演技は、「ミスティック・リバー」の3人に負けるとも劣らない演技だったと思う。
Shutterisland2  ディカプリオの演じるエドワード・ダニエルズ、幻想と真実が混ぜこぜになった過去のフラッシュバックに何度も悩まされ続ける。本人が話す過去とフラッシュバックとの不整合さに、見る側は頭を悩まし続けることになるが、その不整合さこそが後の種明かしにつながっていくという展開は見事だ。いつものディカプリオ(まっすぐに走り続ける演技)とは違い、立ち止まり、時には後戻りするという、複雑な行動を、繊細に表現していたと思う。
 その主人公の敵なのか味方なのか最後まで観客を惑わせるベン・キングズレーの演じるジョン・コーリー医師。謎めいた雰囲気を最後まで見せ切った演技力に感服。怪しさ満点。
 また、さりげなく近くで支える相棒、マーク・ラファロの演じるチャック・オール。マーク・ラファロ独特の、易しそうで優柔不断そうなアンニュイな雰囲気が、上記二人の間に立ち、いい味出していたと思う。あえて言えば、彼の演技が一番難しいと思うのだが、どうだろう。私は最後まで彼の正体を見極められなかった。

 心理描写が見事である映画である、というのは、最後の主人公のセリフにもよく表れている。「モンスターとして死ぬか、善人として生きるか」というセリフだが、この問の後にチャックが「テディ(エドワードの愛称)」と声をかけても返事をしなかった場面がある。これは、彼が「モンスターとして死ぬ」すなわち、自らが幸せでいられるのは幻想の中であり、現実ではないということ、なのだろう。ミスティック・リバーでは現実を受け入れて、過去を背負って生きる辛さを表していたが、今回はその逆。それもまた、人生なのだろう。

 最後にもう一言。名前のアナグラムで種明かしは面白い。アナグラム(anagram)とは、文字を並べ替えて別の単語を作ること。

Edward Daniels → Andrew Laeddis
(テディ)    (レディス)

Rachel Solando → Dolores Chanel
(レイチェル)  (ドロレス)

これは見抜けなかったねえ、上手い! さすがデニス・ルヘイン。

2010/03/13

スクール・オブ・ロック(School Of Rock)

学校でロック、という背反性が面白い

Schoolofrock1  タイトルはSchool of Rock、ロックの学校。ここに出てくる、ジャック・ブラック演じるデューイは教員ではありません。バンドをクビになり、生活費(家賃)を稼ぐ必要に迫られ、ルームメイトの友人になりすまして名門小学校の代用教員でバイトする、というロック・ギタリストです。彼は、単なる金稼ぎのつもりで、授業中はrecess(休憩)、と宣言するなどむちゃくちゃな授業を始めます。そんなの、教育じゃありません。学校じゃありません。

 他の教員の受け持つ音楽の授業を偶然見かけ、生徒たちに音楽の才能があることを知ることに。そこで、彼らにロックを教え込み、School projectで発表するんだ、とウソを言って、自分が出たかったバンドコンテストに出場させようと企みます。ロックを教える、っていったって、結局は自分が賞金を得たいと思っているだけで、子どもたちを利用しようと思っている自己中心的な男です。そんなの、教育じゃありません。学校じゃありません。

Schoolofrock2 デューイ自身も言っているように、「ロックの本質は反抗」です。巨大な力を持つ権威・権力に反抗し、管理抑圧されてきたことへの怒りのエネルギーがロックンロール、なんです。指揮者の元、一体感を持って演奏するクラシックこそ学校にふさわしいのであり、人に盾突くロックは一番似つかわしくないんです。だから、ロックを教えるなんて、学校じゃありません。いや、学校で教えるロックなんて、ロックじゃない、と言った方が正しいでしょう。

 その、背反性をうまく利用したのが、この映画です。

 これまで学校を舞台にした映画には、高い人間性を持った教員が常識にとらわれずに子どもたちと向き合い、子どもたちを成長させていく姿が描かれてきました。

Schoolofrock3  しかし、デューイは全く違います。我がまま勝手、言い邦題の偽教師が、同僚教師たちにロック授業を見られないように、子どもたちに「監視」や「アリバイ作り」までさせてロックをやり続けます。その様子を見て、日々親や教師達に厳しく管理されてきた子どもたちが共感を持ち、自分の気持ちを表現し始める所は、自然な流れです。その過程を教育と呼ぶのには無理がありますが、「そんな生き方でもいいんだ」「自分は自分のままでいいんだ」と安心させてくれるので、むしろ「体を張ったカウンセリング」とでも言えるかもしれません。

 そして、最後に子どもたちが自らの意志で行動することになるわけです。そう、反抗することも戦うこともロックなんですが、自分を表現することも、自分自身の存在を肯定することも、行動することもロックンロールなんですよね。学校でロック。自分勝手と自己表現の境目は判別し難いですが、この学校の子どもたちに必要だったことがロックの精神だったんですね。

Schoolofrock4  最後に一言。演奏場面も楽しい映画です。子どもたちが本当に演奏しているですね。演技ができる人を選んだんじゃなく、演奏できる子を探したそうです。子どもたち全員が控えめなのは、演技と言うより、地のままなのかな。唯一、ハリウッドの有名子役、クラス委員のサマーちゃんの優等生ぶりは、この手の映画には不可欠ですね。大人ぶった発言は、ロックンローラー・デューイの癪に障るのがよく分かります。彼のサマーちゃんの扱い方には抱腹絶倒でした。また、最後の演奏場面、デューイの衣装はネクタイに半ズボン、って、これは完全にAC/DCのギタリスト、アンガス・ヤングですね。これまた笑いが止まりませんでした。

2010/03/09

ハート・ロッカー(The Hurt Locker)

戦争中毒患者は描かれているけれど

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 アカデミー賞とったからでしょうね、1回目の上映に合わせて映画館に着いたんですが満席で、次の上映時間まで待たされてしまいました。映画を見に行って、久しぶりですね、こんなこと。ダ・ビンチ・コード以来かな。本当は昨日(月曜日)に行くはずだったんですが、仕事の代休がずれて今日になってしまい、アカデミー賞発表の後なので心配していた通りの混雑ぶりでした。

 さて映画の内容ですが、プロットそのものは書かないで、印象的なことを書いていきます。

 観客を引きつける、そして戦地の雰囲気を伝える演出は見事です。バクダッドでの爆発物処理班たちのミッションには、いつ爆弾が爆発するか分からない、銃声が飛んでくるかわからないわけです。その現場を漂う緊張感がスクリーンを覆い、その場にいるような緊迫感を私たち観客も共有できる演出です。ストーリーを妙にひねらず、一つ一つの爆発物の処理が、戦場での日常の一コマとして日記のように描かれます。そこには、同僚の死も、バクダッド市民の死も、テロリストの死も、あります。それも日常の一コマとなっています。戦地では感情移入していたら正気ではいられないのでしょう。だからあえて淡々と描き、それが戦争の恐ろしさであると伝えたかったのではないでしょうか。

 また、処理班の中心三人の人物設定が三者三様であるのも、この映画の良さを引き出してくれます。

Hurtlocker2  「危険中毒」とでも形容してもよさそうな爆発物処理班長ジェームズ1等軍曹。映画の冒頭で、「戦争は麻薬である」とナレーションされるが、彼はその麻薬中毒者の一人でしょう。危険を顧みず果敢に爆発物の起爆装置を取り外す行為は、軍の上層部からは勇敢な兵士として称賛されるでしょう。もしくは、死と隣り合わせであることに、アドレナリンが噴出するのでしょうか。ただし、その行為は時には人を窮地に陥れたり、感情の爆発をともなうこともあります。仲よくなったイラク人少年のエピソードは、その感情の起伏の様子を如実に表しています。

Hurtlocker3  常に冷静な行動をとるサンボーン2等軍曹。班長の側近で、最前衛の警備をする彼は、勇敢に敵に立ち向かい、銃の腕も作戦遂行能力も高い、優秀な兵士です。しかし、基地に戻り自分の任務について振り返ると、死の恐怖の前に震え、おののき、「死にたくない」と気持ちを吐露するほど、気持ちは繊細です。今は独身であるけれど、子どもや妻と暮らす未来を夢見る、善良なアメリカ市民がそこにいます。

Hurtlocker4  銃を持っていてもなかなか引き金を弾けないエルドリッジ技術兵。常に「撃っていいのですか」と命令を求め、それでも撃つ決断ができない、というひ弱さを持っています。今までの戦争映画なら、こんな心優しい男は、戦地では必ずといっていいほど命を落とす役柄となります。でも、そんな気持ちを持ったまま戦地から帰還する兵士もいるはずです。そんな、名も刻まれない、有名でもない、ごく普通の若者兵士の代表がエルドリッジではないでしょうか。

 ただ、ここにこの映画の私の不満な点があるのも事実です。この映画はドキュメンタリーではないわけで、何らかのメッセージが込められるはずです。ジェームズの心境は映画の中でよく描かれています。帰還して日常の生活に戻った途端に空虚な気持ちになるのもよく伝わってきます。「戦争中毒症状」にかかってしまった兵士の心の闇、とでも言いましょうか。しかし、それと対比されるはずのエルドリッジの心の中は、あまり描かれているとは言えません。サンボーンについてもしかりです。本人が心境を吐露する場面は一度づつありますが、それだけです。「善良な市民、普通の若者」が戦地の送り込まれる不条理さを、もっと描いて欲しかったと思うのです。彼らが帰還して、どのような心の闇を抱えるのか。それはジェームズとは違ったもののはずです。爆弾処理のエピソードを一つ削ってでも、そんな場面を挿入して欲しかったのです。

 ところで、タイトルのhurt lockerとは、チラシなどでは「行きたくない場所・棺桶」と訳されています。もうちょっと丁寧に言うと、hurtとは「傷つけられた」、lockerは日本語と同じく「ロッカー・小部屋」であり、ここから「精神も肉体もひどく痛めつけられる場所」とか、「究極の痛みをともなう場所」という意味でベトナム戦争の頃から使われていたようです。とりわけ、爆発物で負傷した兵士を「ヤツはハートロッカーに送り込まれたんだぜ」と言う風に使っていたみたいです。

 

2010/02/14

パイレーツ・ロック(The Boat That Rocked)

ストーリーにとやかく言っても仕方がないね

334324_02_01_02  60年代後半のイギリスで24時間ロックを流し続けた海賊ラジオ放送Radio Rockのお話です。当時BBCは1日45分しか音楽を流せなかったため、そんな海賊ラジオ局が実際にあった、という実話をモチーフに作られたフィクション・ストーリーです。ラジオ局はなんと船の上。そこで原題The Boat That Rocked「ロックンロールした船」ということでしょうね。rockには「揺るがす」と言う意味もあるので、「社会を震撼させた船」というダブルの意味をかけたのかもしれません。邦題「パイレーツ・ロック」も映画の内容をピタッと言い当てていて悪くないですが、double meaningっぽい原題が私は好きです。

334324_01_01_02 さて、登場人物は怪しい人たちばかりです。一癖も二癖もありそうなDJたち。彼らが一つの船でDJしながら暮らす、というのは奇想天外で面白いのですが、リアリティには欠けますね。まあ、この映画は事実を元に作られているけど、そうかといってリアリティを求めたら映画としての面白みはなくなってしまうでしょうね。登場人物について一人ひとりコメントするつもりはないですが、フィリップ・シーモア・ホフマン演じるアメリカ人DJのカウント(伯爵)について少しだけ触れます。非常にプライドの高いDJなんですが、私自身も若い頃はラジオっ子だったので、昔を振り返ってみると、好きだったDJはみんなカウントみたいな、アクの強い人たちばかりだったな、と思います。それぐらいの強烈なキャラがあってこそのDJですよね。

 ストーリー展開は、正直言ってのんびりしたテンポで、もうちょっと短くてもいいのかな、とも思いました。細かなエピソード混ぜ過ぎかな、と。特にエレノア話、カウントとギャビンの決闘話とかはね。オチも、かなり無理があるような気がします。だから、映画見ながら、ちょっと冷めた目で見る自分がそこにいました。

 だけど、何といっても、この映画で使われている音楽を聴くと、ストーリー展開なんかどうでもいい、と思えてしまう事も事実なんですね。All Day And All Of The Nightのリフのカッコよさ、Stay with meのメロディの美しさ、Dancing In The StreetやLet's Spend the Night Togetherのノリにしびれます。The Whoの楽曲I Can See for MilesやMy generationが流れると身体がゾクゾク震えてきました。Nights In the SatinやA Whiter Shade of Paleのキーボードの音にも酔いました。音楽を聴くだけで充分と思える程です。

 映画を見終えてふと思ったんですが、60年代後半って、Beatles時代ですよね。そういえば1曲もかからなかったなあ、と不思議に思ったのは私だけでしょうか。

 最後に、日本人にはなかなか笑えない、英語のダジャレっぽい箇所がいくつかありました。モンティパイソン的な、ちょっと下品なネタを一つ紹介しておきます。
 大臣の命を受けて、海賊ラジオ局取り締まりの法案を次々考える官僚トゥワット(Twatt)氏。tを一個取ってtwatにすると、俗語で女性の陰部を指すんですね。あらエッチ!(爆笑)

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 The Kinks "All Day And All Of The Night" の訳詞はこちらをどうぞ!

http://blogs.yahoo.co.jp/hotel_zihuatanejo/32736246.html

2010/01/31

マイケル・ジャクソン THIS IS IT(THIS IS IT)

ギターの女の子が気になってしょうがない

Thisisit1  マイケル・ジャクソンがロンドンで行う予定だったコンサートのリハーサル風景を編集したドキュメンタリー映画、ということで、当然の関心事は「マイケルがどんなコンサートをしようとしていたのか」でしょう。

 でも、映画を見て、気になってしょうがなかったのは、Beat Itでエドワード・ヴァン・ヘイレンが弾いたギターソロや、Black Or Whiteでスラッシュが弾いたリフを、カッコよく弾いていたプラチナ・ブロンド髪の女の子。かわいい顔してほぼ完コピできる相当のギターテクニックの持ち主なんです。リハだから、ということもあるんでしょうが、マイケルと堂々と渡り合ってるし、何といってもギターを弾く姿が可愛いカッコいい!こんなタイプの女性ギタリスト、今までに見た事がないんですね。途中で、インタビューが出てきて、あわててメモを取り出して名前を控えました。
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 オリエンティ・ハネガリス

 聴いたことない名前です。素人かも。無名のスタジオミュージシャンかも。でも、マイケルよりもある意味目立っていました。かなり長いリハーサル期間があったらしいので、それだけ予定を空けられるミュージシャンが必要だったんでしょう。そうなると無名の人しかいなかったのかもしれませんね。
 だって、亡くなってしまった今でこそマイケルは持ち上げられていますが、コンサート開催を発表した時、ファン以外で喜んだ人がどれぐらいいたのか。メディアはもちろんのこと、同業ミュージシャン達もはたして好意的だったか疑わしいわけです。

Thisisit3  オリエンティの印象は私には強烈でしたが、オリエンティ以外の、無名の無数のダンサー達の演技(ダンス)も、本当に輝いていました。誰もが、マイケルのコンサートに「採用」された喜びで、必死に練習していたんでしょうね。その必死さがひしひしと伝わってきます。彼らの一挙一動がきらきらと輝いています。

 マイケルが亡くなる直前まで、ダンサーとして、ミュージシャンとして、エンタテーナーとして一流であったことは、この映画からもちろんよく伝わってきましたが、彼の周りの多くの無名のアーティストの方の素晴らしさの方にむしろ感動しました。

 ところで、ギターのオリエンティ嬢、最近デビューしたみたいですね。日本版には「オリアンティ」で表記されていました。

 デビュー曲  According To Youについてはこちらへ。
http://blogs.yahoo.co.jp/hotel_zihuatanejo/32768709.html

 マイケルのラストソング、This Is Itの訳詞はこちらへ

http://blogs.yahoo.co.jp/hotel_zihuatanejo/34138721.html

2010/01/23

キャピタリズム マネーは踊る(Capitalism : A Love Story)

見ていてどんどん腹が立ってくる!!!

Capitalism1  マイケル・ムーア監督、過去の作品は、自動車産業・銃社会・政治と戦争・健康保険、といった重要なテーマに対し、本気とジョークでドンドン切り込 んでいました。ドキュメンタリーでありながら、明らかに一つの方向に気持ちを向かわせる手法には批判もありますが、確信犯的な姿勢にひたすら感心するばか りでした。ジョークも冴えていて、時折挿入されるアニメっぽい映像もアイロニーたっぷりで楽しむことが出来ました。

 ところが、今回のはちょっと違います。はっきりいって、楽しめません。腹が立ってくるばかりです。

 ジョークっぽいのは、ウオール街に装甲車で出向いて、$マークの袋に「金返せ」って叫ぶ場面でしょうが、あまりにストレートすぎて笑えません。お馴染み、ブッシュ前大統領の演説にテロップらナレーションを加える手法も、アイロニー度は過去の作品程ではありません。
  タイトルであるCapitalismは、訳せば「資本主義」。ついに、アメリカ社会の哲学であるイデオロギーそのもの、本丸に切り込んできました。そのた めかな、今までの作品にあったジョーク的な雰囲気が無くなっている気がします。野球のピッチングで喩えれば、遊び玉一球も無し、ストレートで三球三振狙 い、といったところでしょう。

 つまり、アメリカ社会の富裕層、特に金融界の大物に対し、様子見も無く、からかいも無く、ひたすらまっすぐに攻撃を仕掛けているのです。サブプラ イム・ローンなる「錬金術」を考え出し、バブル経済を巻き起こした金融界が、今度は破綻するや否や国民の血税を投入され、自身は責任をとるどころかちゃっ かりと「報酬」を受け取るという事実を、具体例を上げて描き出しています。「規制緩和」の名の元、消費者や労働者を守っていたと思われる法律までも、経営 者側に有利に働くように改正されていった様子も紹介されます。また、従業員に勝手に生命保険をかけ、亡くなった後には遺族に渡さず自分たちが大金を受けと る企業の経営者たちの姿も描かれます。それは、もうジョークどころではありません。富裕層ではない(なれない)私は、そんな映像を見せられれば見せられる ほど怒りが込み上げてきます。腹が立つ、というのは、映画に対してではないんですよ、映画の題材となった「彼ら」に対してなんです。

 かつてチャップリンは、「一人を殺せば殺人犯だが、多数の人を殺せば英雄になる」と、映画「殺人狂時代」で主人公に言わせました。この映画ではさ しずめ、「非力な一人の僅かな借金は問答無用に取り立てられるが、強大な富裕層の借金は返済免除どころか責任をとらされることもない」ということでしょう か。

Capitalism2  そんな資本主義社会における富裕層が唯一危惧するのは、富をどんなに独占しようが一人につき一つしか持てない投票権なのだ、と大手銀行シティバン クのレポートは指摘しています。ムーア監督の面白い所は、この事実を自分で言わないで、「敵のレポート」か引用してくる所でしょうね。だから、われわれ一 般国民は怒りを結集して、その一票を行使しよう、と呼びかける事に繋がっていくのです。

 それで見えてきました。ムーア監督の狙いがここにあるのだと。そう、とにかく観客を怒らせよう、怒りの矛先を金融界に向けよう、と。ジョークは抑え目にして、ストレートに攻撃しようと。
 映画を見ていてひたすら腹が立ちっぱなしだった私は、もうこれで絶対に「規制緩和」って言葉にだまされんぞ、顔が労働者か「彼ら」経営者かどちらに向いているのかで政治家を判断するぞ、と強く心に誓いましたよ。

 そんな私は、ムーア監督にまんまとひっかかった、ということですね。


 そしてこんなことをアジりたくなりました。

「みんな、自分が金持ちになれると思ってんの?
    American Dreamを達成できると思ってんの?
    労働者じゃなく、経営者になれると思ってんの?
    リストラは自分には関係ないと思ってんの?
    人の給料下げて、自分は下がらないと思ってんの?
    自分より「下」の人を見て、自分が「上流」だとでも思ってんの?」

「そんなんじゃ、支配者の思うツボだよ。権力者の掌の上で踊ってるだけだよ。
日本でも、金持ちのための、経営者のための政党を支持するのは止めようよ。」

「あんた、最近給料上がったの? 収入増えたの? 
日本でも、ほんの僅かの人が富をかっさらってんだよ。」

「キャピタリズムでの話、決してアメリカだけの話じゃないよ。
それでもあんた、金持ちの仲間になれるとでも思ってんの?」

2010/01/20

第9地区(District 9)

エビさん、グロテスクすぎで共存できるかなあ

District91  アメリカでの評価は高いんですよね、低予算で驚くほどの興行収入だったとか。年末に乗った飛行機の機内エンターテーメントでやっていたので、見てみました。

 異星人たちが、地球(なんで南アフリカなんだ?)に「難民」としてやって来る、そして一角をDistrict 9として居住させる、というもの。その区画である第9地区(District9)が「スラム化」したために、地球の人間が移住計画を画策し、その時起こる事件、、、というストーリー展開。
 設定はMen In Blackっぽいですが、大きな違いは、Men..では異星人が人間と姿を「似せて」紛れて暮らしているけれど、この映画では異星人たちがそのままの姿で地球で暮らしていること。そして、「隔離されて」生きている、ということ。その設定の違いが面白そうだな、と序盤は思いました。すなわち、Men..では異文化の人々が、自分の姿という最も基本であるアイデンティティを認められず、「同化して」生きることを強いられているのに対し、この映画では同化することを求められない替わりに、「隔離する」ことを強いられるのです。この違い、興味深いです。ストーリーはどう展開するんでしょうか、楽しみでした。

 異星人たち、人間に「エビ(prawn)」と呼ばれてます。その「エビ」さんたち、宇宙船で来た割には、随分と前時代的な暮らし方しているんですね。知能も高そうに見えないし。人間に簡単に腕をもぎ取られたり、すんでいる所を強制移動させられそうになるし、散々な扱いです。もう、彼らの逆襲がいつどこで起こるのか、それとも、彼らの仲間が助けに来るのか、、、興味は湧きます。

 でもね、エビさんたち、容姿があまりにグロテスクです。飛行機でのミニモニターで見ていても気分が悪くなるんですが、大画面で見たらもっとキツイでしょうね。ましてや同じ地区に住むなんて、私にはできそうにありません。これって、民族差別なのかな、と考えたんですが、どうでしょう。私、ヘビやトカゲといったハ虫類は大の苦手です。この、エビさんたち、他民族というより、そんなハ忠類に近いものを感じたんです。面白そうなストーリーだったんですが、その容姿を繰り返し見せられて、飲み物すらのどを通らなくなりました。

 直視を避けつつストーリーを追いましたが、途中からはMen In Blackではなく、The Flyっぽくなり、なにか絶望感が見える展開になりつつあります。人間のエゴと自己中心的な考えが充満してきます。このあたりから、当初の「同化か隔離か」という、私のストーリーを楽しむ意味は消えていきました。

 エビさんと共存できる、と答えられる人だけ、見た方がいいですね。私には、、、、、無理!

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