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映画タイトル別一覧

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2009年10月

2009/10/24

レスラー(The Wrestler)

プロレスにはヘビメタがよく似合う!
Thewrestler1 プロレスとヘビメタは共通点が多い。だからレスラーがリングで戦っているシーンにはヘビメタがよく似合う。
 共通点の一つは、様式美の世界であること。スポーツは筋書きのないドラマだから面白いというけれど、筋書きがあるドラマだって面白いんだ。観客が何を求めていて、それをリングステージで演じるドラマで何が悪いんだ。「仕掛けた技には掛からなければならない」はプロレスの暗黙の了解。ジャイアント馬場の16文キック、あのスピードなら除けることが出来るだろ、と思えるのだが、ロープに振られたら帰ってこなければならないんだ。技をかけられながらもダメージを少なくする、受け身の上手さが求められている。それが難しいんだ。そこがテクニックなんだ。だから、この映画の主人公ランディ・ザ・ラムの技がスゴイというよりも、対戦相手の技のかかり方が上手いんだ。それを観客は求めている、勝ち負けじゃない、技を掛け合うところが面白いんだ。ヘビメタを聞きに来るファンも、同じだろ。みんなヘッドバンキングしたいんだから、ミュージシャンはそれを演奏する。Quiet Riot のBang Your Head (Metal Health)が流れるが、サビで一緒に叫ぶのがいいんだ。その世界は、ともに様式美。ワンパターン、と言うなかれ。そう思う人は見に行かなければよい。大体が、万人に受け入れられようと思っちゃいない。プロレスもヘビメタも。

ThewrestlerThewrestler2  もう一つの共通点は、現実から逃れた自己陶酔の世界であること。ランディの日常は、リングで注目を浴びる存在からは到底想像出来ないほど悲惨。スーパーのアルバイトだって、顔を見られて本人だとバレないように、倉庫などの裏方の仕事に徹する。素敵なマイホームパパ、だなんて顔を見せるなんてもってのほか。それで娘と疎遠になっても仕方がない。いつだって、虚勢を張って派手に生きている。稼いだお金は、自らの肉体をより美しく見せるために、日焼けサロン代や筋肉増強剤代に消える。ヘビメタだって、長い髪を振り乱してギターを腰より下で持ち、野太いリフと搾り出すようなシャウトボーカルでなければならない。バイトだって何でもいいというわけではなく、選ばないといけない。Tシャツにジーンズで普段は過ごさないといけない。生活感を微塵も見せない姿が、ヘビメタなんだ。

Thewrestler3 が、その世界にいることに不安を感じ始めた時、上記の共通点の前提となっていることは、意味を成さなくなってくる。ランディが心臓発作を起こし、引退を決めた時、かれはスーパーの総菜売り場に立った。娘との関係を修復しようとした。遊び相手ではなく、そばにいてくれる女性を求めた。様式美を捨て、自己陶酔の呪縛を解き、現実に戻ろうとした。ヘビメタのミュージシャンが、髪を切り、スーツを着たのと同じだろう。その決意と努力には、敬意を払うべきであろう。なぜなら、その決意は、自分の生き方を大転換させることを意味するのだから。

 しかし、ランディは再びリングに戻る。様式美と自己陶酔の世界こそが、彼の居場所だ、と気づいたから。その世界に、ランディを待っている人がいるのだから。ヘビメタ式世界に戻ることが、彼の自己肯定であるのだから。

 エンディング、ブルース・スプリングスティーンの歌う「レスラー」が流れる。ヘビメタで主人公の生き様を見せられた最後に、ゆったりとアコースティックナンバーで締めくくるという粋な計らいに、涙が込み上げてくるのはもう必然であろう。レスラーをone trick pony(一芸しかできないポニー)、one-legged dog (片足しかない犬)、a scarecrow filled with nothing but dust and weed(埃と雑草で詰められた案山子)と形容するも、愛情を込めて歌い上げるその歌に、涙は止まらない。

(その歌の訳詞はこちらをどうぞ)

http://blogs.yahoo.co.jp/hotel_zihuatanejo/32065902.html

2009/10/23

私の中のあなた(My Sister's Keeper)

泣ける映画、という枠でくくらないで!
Mysisterskeeper
 確かに、隣の席のおネエさんは、開始早々に泣き始めていました。後半は、すすり泣く音まで聞こえてきました。私も、何度も目頭を押さえ、熱いものが瞼に溜まるのがわかりました。

 泣ける映画、というのは事実です。でも、いわゆる今までの「泣ける映画」という枠のくくりで考えるタイプの映画ではありません。ドラマチックに仕上げ、不幸さや無念さを目一杯強調して、「さあここで泣いていただきましょう」という演出にしてあるわけではないからです。

 むしろ、表面的な愛ではなく、本当の愛情とは何か、を私たちに突きつける映画なのです。好きだ、一緒にいたい、というレベルの愛ではなく、心で繋がる愛とは何か、を教えてくれる映画なのです。「可哀そうだ」と思わせるのではなく、突きつけられた現実を前にして、どう生きていくか、を私たちに示してくれる映画なんです。

Mysisterskeeper1  設定にリアリティがあるか、といえば、私は「ない」と答えます。白血病である姉のドナーとして誕生する妹、というのは、生命の倫理に反すると思えますし、現実にはない(あってはならない)と考えられます。その妹が、同居しつつ両親を相手に臓器提供拒否の訴訟を起こす、ということもおそらくありえません。仲が良いのに、そんなことが起こるのか、疑問です。でも、設定が突拍子もないからこそ描けるストーリーや、伝えたいメッセージが伝わることがあると思うのです。

 この作品では、その訴訟をきっかけに、母が、父が、妹が、兄が、人生とは、幸せとは、愛情とは何かを真剣に考えることになります。

 母は、白血病の長女を救うためなら全てを犠牲にしても構わない、それこそが愛だと信じて疑いません。しかし、そうすることだけが愛ではないことに気づきます。この訴訟で、長女から、次女からそれを知らされるわけです。それを受け入れることは、自分が行ってきたことを否定することにも繋がるのですが、その苦しみを乗り越えます。
Mysisterskeeper2  父は、当初は妻の行動に従い続けます。しかし、長女が「海を見たい」と発した台詞をきっかけに、考え方を転換します。今娘のためにすべきことは何か、それを叶えてあげることこそ愛情だ、と気づきます。
 妹の、姉への愛情表現は凄まじいものがあります。自分の体を切り刻んで、姉へ尽くす。My sister's keeper(姉の守護者)そのままの献身的な行為です。でも、訴訟を起こすことそのものが、本当に姉を思う気持ちであることが分かり、決意します。その決意こそ、真の家族愛だと気づいた時、観客は涙を流さずにはいられません、
Mysisterskeeper3  そして、寡黙に静かに見守る自閉症気味の兄。訴訟費用を夜な夜な繁華街で怪しげに稼ぐ姿、それが家族愛の一つであったことは驚愕でした。また、訴訟の裏に隠された事実を全て暴露する場面では、病気の妹とドナーの妹両者への彼の深い愛情を感じさせます。彼の存在になしには、この映画は成り立たなかったでしょう。ストーリーに深みを持たせてくれました。

 これほどまでに、家族愛を描いた映画は観たことがありません。設定の奇異さが、かえってテーマを、メッセージを深く伝えることになったんではないでしょうか。「泣ける映画」なんて陳腐な言葉で形容して欲しくないんです。

Mysisterskeeper4  最後に、同じ病を持つ者同志のラブ・ロマンス、美しくてたまりません。素敵でした。

 

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