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映画タイトル別一覧

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2009年3月

2009/03/23

イエスマン "Yes"は人生のパスワード(Yes Man)

飛び降り自殺をしようとする人の前でJumper歌うとは、オソレイッタ!

332669view003  全ての質問にyesを言い続けるとどうなるか、と思い実践したというベストセラー本を題材にした映画。実話、というより、その本でのエピソードを所々使って創作した脚本なのでしょうね。上手くプロットを組み立てて、エンディングもきれいに(ちょっとお下品だけど)まとめてあるし、コメディーとして笑いの要素もたくさんあります。この手の、コメディ仕立てでテンポの良い、メリハリの利いた、ちょっと大げさな演技は、ジム・キャリーの十八番でしょうね。随所にちりばめられたギャグにアハハハと笑え、ラブ・ロマンスにときめき、危機一髪の場面にドキドキし、破局に心を痛め、ハッピーエンドに涙できて、心から楽しめる映画でした。

 いきなり、JourneyのSeparate Waysのイントロが流れ、何なんだ、と思わせるや否や、一発目のギャグ。それに続く、ジム演じる銀行マンのカールと親友ピーターの電話のやり取りも愉快。出だしから、飛ばしてくれます。

332669view012  カールの上司ノーマン(のちに、ノームと略されますが、、、)とのやり取りも笑いが止まりません。特に、ノーマン役のリス・ダービーの演技は最高です。イギリス風の発音するなあ、と思ったら、ニュージーランド出身で、イギリスで活躍した有名なTVコメディアンだそうで、表情・台詞の言い回し・動き、どれも見ているだけで笑えます。ハリー・ポッターの仮装パーティの場面は、笑いすぎて涙が出てきました。そのあとの、300(スリー・ハンドレッド)の仮装パーティも、もっと見せて欲しかったなあ。

 

ジムが韓国人店員と韓国語で話す場面は、ホロッと来ました。異国の地で慣れない仕事をしていると、妙にイライラし、そんな時違う国の人に自分の母国語(この場合は韓国語)で話しかけられると、心を許してしまう、と言う心境なんでしょうね。逆の立場ですが、オーストラリアで、韓国人の人と私の片言の韓国語で話しをした時、妙に心を通じ合えて、その方の将来設計まで話してもらったことがあるんです。その時の出来事と重なりました。思い出しながら、ホロッと来たんです。

332669view009 ドキドキしながら、笑えたのが、飛び降り自殺しようとした男に、Third Eye BlindのJumperと言う曲を歌って説得する場面。唄った歌がJumperなんですよ、飛び降り自殺志願者の前で! 歌詞の内容もぴったりで、
 I wish you would step back from that ledge my friend
(君がその絶壁から戻ってくれるといいんだけど)
You know you dont belong
(君は何のよりどころもないって思っているよね)
なんて歌い、
Well everyone I know has got a reason
To say "put the past away"
(誰だってこう言うさ、「過去は片づけちゃえ」って)
と、みんなで合唱
I would understand
(僕なら理解してあげられるよ)
と、見事に愉快に説得。本当に、自殺志願の人にこうして説得できたらいいなあ、と涙ながらに思えましたよ。

(歌詞の全訳はこちらをどうぞ ↓

http://blogs.yahoo.co.jp/hotel_zihuatanejo/26693860.html )

332669view005  もっとも、主要プロットである「Yesを言い続けると、未来が広がる」と言う点には、若干の疑問が残ります。yes言い続けてたら、そのうちマズイ場面もあるだろう、と、時にはNoも必要でしょう、と思いませんか。ただ、yesというのが、何事にも積極的に関わる、現実を受け入れて前向きに行動する、という姿勢を示す言葉(後半でyes manセミナーの男が言うのだが)と捕らえるなら、分からなくもないかな。現に職場には、新しい提案に何でも否定的な発言を繰り返す人たちも多いですからね。yesの姿勢で、前向きに、ということが人生に大切になってくるのかもしれませんね。
 でも、yesを言い続けたという原作本、ギャグという意味ではなく、どんな風に繋がっていったのか、興味津々だなあ。きっと映画よりも面白いんだろうなあ。原作読みたくなってきた!

 

 最後に、エンドクレジットが出てすぐに席を立っては行けませんよ。大きい文字で出演者名が出た後で、もう一場面ありますから。その場面で、もう一笑いして下さいね。

:::::::::::::::::::::::::::::::
 ちょっと追加です。 
 韓国語講座、イラン人花嫁、肥料工場への融資、パイロットライセンス、突然のフライト、と重なると=「テロリストの容疑」。FBIやCIAの捜査は、疑ってかかることから始まるものなのでしょうね。

2009/03/17

ジュノ(Juno)

コメディとして◎、でもPG18だなあ

41gy0azkwel  16歳で妊娠してしまうが、中絶せずに妊娠を決意し、養子縁組み先を見つける、というストーリー。まず、すでにどの紹介サイトでも解説されている主要プロット設定そのものがユニークで、どんな展開になるんだろう、というワクワク感を与えてくれる。ただ、この手の映画はアイデア先行で、オチがつまらない、という結果になることが多い。さて、どちらだろう、と思い観賞。

 結論から言えば、コメディとしては良質、オチも妥当な線、後味は悪くない。◎、といったところ。でも、これを現実に投影してしまいそうな、影響を受けそうな世代が見ると、ちょっとマズくないかい、という点もあり、マイナス点あり。現実はこうはいかないよ、コメディとして見てね、誤解しないで、という思いも沸く。自分の子どもには見せたくないなあ、という思いもあり、PG18にでもしたらどうかなあ、、、、ってところでしょうか。

 まず、カット割りや風景の見せ方は面白い。小道具が効いている。ひじ掛けソファーイス、ジュース(水?)のボトル、ハンバーガーフォン、など、どれもどうでもいいような小道具でこだわりを感じる。
 台詞も、今どきの高校生らしい台詞がポンポン飛び出す。主人公ジュノの、ワガママで勝手気ままで、それでいて自分の本心をうまく表現できないところは、可愛いし、可笑しい。 ジュノの相手が、気の弱そうな、優しそうな、陸上部の男の子、というのも、可愛いし、可笑しい。そんな2人が、スルか? そのギャップがまた可愛いし、可笑しい。
 もっとも、相手の男の子を問い詰めないお父さんと継母というのは、現実的ではないし、即決で娘が出産するという結論を、あっという間に賛成し、協力的になるのは、どうかなあ、とは思うが、コメディの命とも言える、テンポを崩さない、遅くしない、と言う点ではこのプロットは正しい。
 そんな中で、大人たちが何度も使うsexually active(性的に活発)って表現に、笑いがこみ上げてくる。そういえば、日本でも「不純異性交友」(漢字あっていたかな?)といった言葉、大人たちは真面目な顔して使っていたね。早い話が、「高校生のくせにセックスするとは何てことだ」と言いたいのを、sexually...とか不純、、、と、遠回しに言うんだよね。さらに可笑しい。

329516_01_02_02  里親となる夫婦と、ジュノの関わり方、ほほ笑ましい。ここで、ジュノが夫婦に無関心でいるようでは、ジュノの人柄にクエスチョンが付く。自分の子どもを育ててくれる人には、幸せでいて欲しい、というのは、幸せを分かち合う精神の賜物ではないだろうか。幸せとは、世間一般で言われている幸せとは違った形もありうるのであり、この映画での幸せのあり方の提示方法は、ある意味、その「別の幸せ」を見せてくれているのだろう。違った形が合ってもいいじゃないか。

 でも、あくまでフィクションであってほしいストーリー展開ではある。最後に、もし、「これは実話です」なんてクレジットが出てきたら、即座に星1つ、だったかな。現実にはこう進めるのはやっぱり良くない、と言う思いが強い。sexually activeな16歳前後の子どもたちに、妊娠・出産、そして「里親を探すって方法もあるんだ」と思わせちゃあ、マズイでしょう。今のミドルティーンは、現実と理想、または仮想との区別ができなくなりつつあるような気がする。想像力を欠き、いざという時には責任回避や他力本願的な行動をする。そんな彼らに、この映画を見せて、勘違いさせてしまったら、、、と思うと、PG18にでもして、見せたくないなあ、、、。正直言うとね。で、マイナス2。

329516_01_07_02  最後に、サウンドトラックは、バラエティに富んでいてよい。なにより、エンディングで歌われる歌がほほ笑ましい。ネタバレしたくないので、詳細は書かないが、監督のセンスの良さを感じる、爽やかな終わり方だと思う。で、プラス1。総合で4。

2009/03/11

ダウト〜あるカトリック学校で〜(Doubt)

疑念の心が不寛容を生み、愛を凌駕すると、、、

Doubt3  劇作家ジョン・パトリック・シャンリィが、2005年のトニー賞、ピュリッツァー賞をダブル受賞した「ダウト/疑いをめぐる寓話」を映画化した作品。主要登場人物4人がすべてオスカーにノミネートされたことでも話題となった。その4人とは、黒人少年との性的関係を疑われたカトリック教会のフリン神父(フィリップ・シーモア・ホフマン)、神父と対立し、その疑惑を追及する神学校長シスター・アロイシス(メリル・ストリープ)、その疑惑のきっかけを目撃した担任教師シスター・ジェームズ(エイミー・アダムス)、それに少年の母親ミラー夫人(ビオラ・デイビス)。基本的には、舞台用戯曲として書かれた作品らしく、顔を合わせた場面でのそれぞれの台詞が重要な意味を持つ映画となっている。

 中でも、フリン神父の説教は印象的で、原作者の思想が強く込められていると感じた。映画冒頭の説教では、疑念の気持ちが時には強い結束や意志を生む、という内容。この映画のプロットそのものだろう。
Doubt2  2度目の説教は、噂話のたとえ。噂話好きの女性に対し、神は「お前の枕を持って、屋根に上り、その枕を裂け」と命ずる。枕の中の羽毛が空に舞うのを見て、神は「その羽毛をすべて集めなさい」と。その羽毛こそが、噂であるわけだ。噂は一旦広がれば、もう止めることも収めることもできない、その恐ろしさは我々は現実社会で数多く経験している。シスター・アロイシスへの強い苛立ちを感じる内容だ。
 そして、シスター・アロイシスの嫌うボールペンを使って書き留めようとしたもう一つの説教のアイデアが「不寛容(intolerance)」。キリスト教においては、罪を認め、それを告白する(confess)ことで、神に許しを請う。神がそれを許す、それこそ寛容の心だろう。聖書にもあるように「愛は寛容である(love is patient)」のだ。しかし、宗教には「不寛容」の資質も隠れている。すなわち、聖書から読み取る規律を守って暮らすことが、神に近づく唯一の方法であり、それ以外の生き方を認めないという不寛容。他の宗教的生き方や価値観を認めないという不寛容。福音派を始めとしたキリスト教右派には、常に不寛容の影がつきまとう。

 そう、ここに、この映画の本質があると思う。自分の信じる正義と規律を重んじ、それから外れることを認めないシスター・アロイシスの「不寛容」、多様な生き方や考え方を受け入れるフリン神父の「寛容」。しかしながら、道義的にはシスター・アロイシスは正義ではある。フリン神父は、その正義に対し、「間違い」とは言わず、寛容さを彼女に求める。だから、ひょっとすると、シスター・アロイシスが抱いた疑念は事実なのかもしれない、と思える。

Doubt1 結局、その事実は明かされず、曖昧さを残したままで終わる。事実なのかどうかはっきりさせた方が鑑賞後の満足度は高くなるかもしれない。それが普通のエンディングだろう。でも、世の中は、必ずしもシロクロはっきりするわけではないし、事件の真相がわからないままに終結することもある。そういう点では、非常にリアリティのあるエンディングなのではないか。好みの問題かもしれないが、この曖昧さがかえって私の想像力をかき立ててくれ、鑑賞後に映画をあれこれ振り返ることができた。そんな映画の鑑賞方法も悪くない。(タイプは違うが、「ノー・カントリー」も同様な鑑賞後感だった)

 私が思うに、この映画(脚本)において、疑惑をもたれた事件そのものの真相はどうでもいいのかもしれない。その疑惑を持つ心そのものが引き起こす行動、すなわちシスター・アロイシスのとった行動が、はたして正しいのか。さらに言えば、真相を追求することが必ずしも正しいことなのか。

 疑念にとりつかれた人の取る行動を私たちに見せ、考えさせてくれた、と言う点で、この映画のメッセージは十分に伝わる。大事なのは真相ではない、そこに至るまでの過程なのだろう。真相追求ではなく、「この子に優しく接してくれるのは神父だけなんです。」「あと6ヶ月だけ辛抱して下さい」と話す少年の母親ミラー夫人の台詞にも、その意図を感じるのだ。さらに、ミラー夫人の「この子はそういう性質(his nature)を持っているんです」と、寛容の念をシスター・アロイシスに求める場面もある。

 「悪を駆逐するには、神から遠ざかることになってもよい(嘘をもつく)。」とシスター・アロイシスは言ったが、それは違うだろう。その後に涙を流す場面や、「大切なのは不寛容ではなく、愛である」というフリン神父の言葉に、作者の強いメッセージを感じた。

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