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映画タイトル別一覧

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2008年12月

2008/12/27

サラエボの花(Grbavica)

邦題「サラエボの花」の意味とは

Grbavica  92年から95年にかけて起こったボスニア内戦。新ユーゴスラビアから分離独立したボスニア・ヘルツェゴビナに対し、セルビア人勢力が武力攻撃したことで、NATOの空爆などもあったこの内戦の最前線は、84年に冬季オリンピックが開かれたサラエボ。そのサラエボを舞台にした、ボスニア内戦後の1組の母と娘のお話し。原題Grbavicaとは、サラエボの中心地で、もっとも激しい戦闘が行われた地区だそうだ。

 この内戦のことがわからないとストーリーはついていけないか、というと実はそうでもない。内戦そのものではなく、内戦によって身も心も傷ついたエスマとその一人娘サラの親子関係の亀裂と修復がこの映画のテーマ。台詞を丹念に聞いて(読んで)いけば、難しいことばも理解できるはずだ。たとえば、シャヒードは殉死者、と表示されるので、戦闘によって亡くなった兵士であろうと推測でき、チェトニク兵士と言うことばも憎しみを込めてエスマが語るので、内戦での敵対兵士であろう、とわかる。(チェトニク兵士とは独立に反対したセルビア人兵士のことを指している。)エスマが兵士を見る表情から、過去にチェトニク兵士に関して何か秘密があることが容易に推測できる。
Grbavica2 また、ボスニア内戦の戦闘場面が回想といった形でも一切出てこないが、破壊され廃虚と化したビルや、かつて建物があったと思われる瓦礫の山が画面に映ることで、戦闘後の街の生活の苦しさは伝わってくるはずだ。手が込んでいるわけではないが、理解するのに時間がかかるわけでもない。そこがこの映画を数々の賞に輝かせた一つの理由なのかもしれない。

 映画の後半、エスマの衝撃の過去(といっても、ストーリーを追えば容易に推測できるが)がエスマの口からサラに伝えられる場面では、鳥肌の立つくらい2人の迫真の演技に心を打たれた。親子関係の亀裂の最大の場面にして、修復へのスタート。

 そして、その後、女性たちのセラピーの集会でエスマが自らの苦しみと、娘サラへの並々ならぬ愛情を語る。そしてそこで他の参加者が唄った歌が涙を誘う。

「砂漠にも花は咲く
 それは私たちの幻想の楽園

 私の血と涙がにじんでいる
 赤いバラ、心の中に」

Grbavica3  内戦によってもたらされたエスマに起こった悲劇。それが砂漠とするならば、そのエスマにとって、咲いた花はまさに、一人娘のサラ。邦題「サラエボの花」とは、エスマにとってのサラ、だったのだ。この邦題を付けた日本の配給会社の人に、拍手。英語のタイトルTHE LAND OF MY DREAMS(夢の地)も、歌詞の途中にある「私(たち)の幻想の楽園」の意味を込め、意味深ではあるが、この映画の本当のメッセージは砂漠に咲いた花そのものである、とストレートに表現した邦題に、賛成。

2008/12/20

ワールド・オブ・ライズ(Body Of Lies)

エンタテーメント性も社会性も兼ね備えた、対テロ戦争を描く問題作

Bodyoflies  リドリー・スコット監督、主演ラッセル・クロウとレオナルド・デ・カプリオ、舞台は中東。すぐに観に行きなさい、と言われているような感覚に襲われて、公開初日に行きました。 
 期待通りの、エンタテーメントに優れた渾身の一作であり、いろんなことを考えさせてくれる問題作でもありました。

 まず、エンターテイメント性。
 映画のキャッチコピーでもある、「どっちの嘘が世界を救うのか」は、実は正確なコピーとは言えないでしょう。どっち、というより、次々と嘘が並ぶからです。諜報戦らしい、といえばそれまでですが、テンポよく、次々と繰り出される嘘は、邦題「ワールド・オブ・ライズ」(嘘の世界)そのものです。2時間が全く中だるみなしにあっという間に過ぎました。
 CIA幹部エージェント・ホフマン(ラッセルクロウ)を、チョット太り気味体形にしたのは秀逸です。一見、どこにでもいそうなおっさん、実は冷徹で賢いエージェント、というのは意外性があり、この手の演技はラッセルもお手の物でしょう。怖い物知らずでまっすぐで、現地(中東)の事情に精通し、そのうえ人情味がある切れ者工作員・フェリスには、デカプリオはまさにうってつけ。(ただ、彼の最近の役はこんな雰囲気ばかりであるのは気にかかります) この2大スターの配置は見事で、十分に演技を堪能できます。

 

Bodyoflies1次に、テロ、という現代における安全保障の最重要課題に関しての問題提起。
 イスラム社会とキリスト教・ユダヤ教社会という宗教の問題や、テロを生み出す土壌や政治問題などは、実はかなり複雑で深い構造になっているのですが、この映画ではその深さをかなり単純化して説明している、と感じました。すなわち、「テロ集団は、豊富な資金を持つ富裕な指導者に率いられ、イスラム社会の信心深い貧困層を利用し、テロ戦争を仕掛けている。アメリカ(を中心とした)側は、高度な技術を駆使してテロ封じ込めを狙う。」という構図です。衛星からピンポイントで鮮明に人の動きを追う高度な技術を持つアメリカに対し、インターネットや携帯電話ではなく、人か人づてに情報を伝次していくテロ集団。高度に発達した技術の盲点は、非常に原始的な方法にたいして無策となること、なのです。かつて、アメリカはベトナム戦争で、熱帯雨林でのゲリラ戦に結果的に敗れてしまいました。その繰り返しを観るような、中東での失敗に警告を発しているかのようです。
 ならば、そのテロ集団に立ち向かう方法は何?。この映画にその答えが隠されているような気がします。それは、同じイスラムでも欧米よりの行動をとったヨルダンの諜報部トップのハニ(マーク・ストロング)の思想。「私は嘘は嫌いだ」とフェリスに迫るハニの姿、そして、テロ集団に加わりかける若者を救う方法に、アメリカ(を始めとした国々)が今忘れかけているものを観たような思いに駆られました。ネタバレしない程度に書けば、それは、人を動かすのは人の心だということ。人から受けた恩は恩で返すものだ、ということ。もちろん、ハニの行動は、諜報部としての行動であるため、危険や犠牲をいとわない、と言う点で決して人道的でないことは確かで、全てを受け入れられるわけではないと付け加えておきます。

 かつて、「シリアナ」という映画がありましたが、この「ワールド・オブ・ライズ」は、その映画ほど複雑な設定にせず、エンタテーメント性を保ったまま、問題提起することに成功した映画ではないでしょうか。

Bodyoflies2  ところで、映画のタイトルはどんな意味なのでしょうか。Body of Liesのbodyは、「身体」の他、「ある機関の集団」「死体(dead body)」があります。だから、まずは「嘘の集団」 と言う意味。CIAはもちろん、諜報戦に絡んでくる機関は全て「嘘」で固められた集団。その属する人々もみんな「嘘の身体」を持ち、偽名はもちろん、目的のためには味方も欺く、ということでしょう。その嘘により、多くの犠牲者(死体)も生んでしまうという悲劇。正義のための犠牲は認められるのか。そんなメッセージも込めているのかもしれません。

2008/12/04

潜水服は蝶の夢を見る(Le Scaphandre Et Le Papillon)

「静」の中に「生」がある。生きることへの渇望溢れる映画だ

Scaphandre1  まず、意味深なタイトル。原題は何だろう、日本語のタイトルは日本の配給会社の創作なのか。よくみたら、原題は「潜水服と蝶」。やはり潜水服なんだ。どういうことなんだろう。これが、この映画に興味を惹かれた理由だった。地方の田舎都市では公開されるはずもなく、DVD鑑賞となる。

 結論からいうと、「観て良かった!」。

 理由その1
 働き盛りの男が、 突然の脳梗塞で倒れて体が不自由になり、しゃべることもできず、目をまばたきすることしかできなる、という実話。だが、決して「お涙ちょうだい」風に仕上がっているのではなく、生きる、とはどういうことなのか、を私たちに投げかけている。脳梗塞に倒れた後、(おそらく記憶が飛んでいるのだろうが)徐々に自分の状況が飲み込めていく過程が、すべて本人目線で語られていく。また、本人目線でカメラが動くので、ベッドに横たわる、車イスで動く時の視界を観客も疑似体験することになる。
Scaphandre2  不安感を通り超えた絶望感、虚無感が台詞(もちろん心の中の呟き)の端々に伺えるが、彼らしい(人間らしい、というか、男らしい)気持ちを表す台詞も垣間見える。例えば、若い女性言語療法士との対面での「美しい。おお、ここは天国か」の言葉は、身体の自由が利かない人とは思えない、欲望のみなぎったものであり、まさに「生きている」という感覚である。また、サッカー中継をテレビで観ていたのに途中で看護士にスイッチを消されてしまった時の、彼への罵倒のことばは、体が不自由になったことを微塵も感じさせない、ごく自然な感情表現だ。ごく普通に生きている人となんら変わらない、全てが自然なことばなのだ。だからこそ、「生きている」実感が主人公から感じられるのだ。人間らしさ、と言い換えてもいい。時折、動かない主人公を外からのカメラワークで捕らえるのだが、そこには「生きている」男がいるのがはっきり分かる。「静」の中にも「生」があるのだ。

理由その2
 その男が、夢を見る。そう、タイトル通りの夢を。潜水服の夢は、海中で思うように動けない姿が、身動きが取れない病床の自分と重なり、いわば絶望感の表れ。そして、さなぎから大空へ飛び立つ蝶に、夢や目標を持って生きたいという願いを重ね合わせる。絶望感から躍動感への転換への象徴。それが、生きることへの渇望を私たちにも与えてくれる。主人公が長年暖めてきた、本の執筆の願望。それをまばたきだけでライターに伝え、代筆してもらう姿は、どんな状況でも生きることへの渇望をなくしてはいけないということを私たちに教えてくれるのだ。生き抜くこと、それが大切なのだ。
Scaphandre3  そういう点では、全身不随となり呼吸器を付けた主人公が登場する映画「ミリオン・ダラー・ベイビー」の人生観とは明らかに一線を画するであろう。私は、生へのあくなき欲望を見せるこの映画の主人公の方が好きだ。

理由その3
 カメラワークと音楽の使い方に唸った。カメラが、不随になった男の目線で動いている。映画「クローバーフィールド」のように、登場人物が持つハンディカメラ、というウソ臭い演出でなく、目そのものがカメラとなっているので、自然と主人公に感情移入できる。時折、第三者的に外からのカメラワークにも切り変わるので、一方向の視線ではなくなり、マンネリ化も避けられている。特に後半はストーリーをまとめるために外から目線が多くなり、効果的だ。
 また、主人公の夢や過去・思い出、と現実をしっかり区別するために、音楽がうまく使われている。現実では、部屋や廊下での物音、自然の音、など、叙情的な音楽は一切流れない。が、夢や思い出では、楽しい音楽、ムード溢れる音楽、と様々に使われている。そして、曲の途中であろうが無造作に音楽が断ち切られ、現実へと戻っていく。 実に効果的だ。

 辛い現実の中で、人間らしさを忘れず、生きることへの渇望をなくさず、可能な限りのことをして、本の執筆という夢を実現させる主人公。決してハッピーエンドではないかもしれないが、生きることの素晴らしさを伝えてくれたこの映画に感謝したい。

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