フォト

映画タイトル別一覧

  • 映画タイトル別一覧
    外部HPに、当ブログの映画レビューの記事「映画タイトル別一覧」を作りました。

最近のトラックバック

« Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!(Mr.Bean's Holiday) | トップページ | ハンコック(Hancock) »

2008/09/01

ゼア・ウイル・ビー・ブラッド(There Will Be Blood)

タイトルのbloodに込められた意味を考えると、この映画が読み取れる

ネタバレしています

Therewillbeblood  主人公の石油王ダニエル・プレインビューを演じるダニエル・ディ・ルイスと、若きカリスマ牧師イーライ・サンデーを演じるポール・ダノ、この2人の演技にテーマすべてが集約されている映画だ。映画のプロットは、石油採掘を巡る一人の男の物語。彼と周りの人物がどのようにかかわってくるか。先の読めない展開と、ディルイスとダノの演技にどんどん引き込まれていった。

 私が注目したのは、なぜタイトルがThere will be blood、石油なのになぜ血なのかということ。映画を見ながら、また観賞後にいろいろ考え、調べてみた。bloodには複数の意味が込められている、すべての出来事にbloodが関わってくる、ということに気付いた。

 bloodその1=流血。
 石油採掘には多くの犠牲があった。利権を巡り、血が流れることもあった。特に映画の後半、血なまぐさい場面は登場する。私は当初、これが最も強い意味かと思ったが、観賞中の印象はノー。むしろ、カムフラージュとなっている気がする。

 bloodその2=血の力、すなわち洗礼。主(神〉より受ける血。
Therewillbeblood2  パイプライン建設のために、イーライの宗派の洗礼を受けることを要求されるプレインビュー。しかしその場で「私は罪人(sinner)。私は子どもを見捨てた」と叫ばされる。その屈辱的な行いは、彼の哲学からは許されるものではないだろう。賛美歌There is power in the bloodがバックに流れる。「あなたは悪に勝利したいか?その血には素晴らしい力がある。」と歌われる。神など信じないプレインビューが、勝利したいためだけにthe power in the bloodを受け入れる。彼は自らの利益のためなら、信仰も洗礼までも道具にする。

 bloodその3=血縁。
Therewillbeblood1  誰も信じない主人公プレインビュー、信じるのは血のつながり、family。自分の息子のみを頼りにする。生き別れした弟をすぐにパートナーに引き入れる心境は、血のつながりしか信じない彼の主義を明確に表している。
 ところが、エンディング近くでどんでん返しが待っていた。独立を願う息子に「お前は俺の子ではない、血はつながっていない」。この台詞の英語は、You have none of me in you. bloodとは一言もいっていない。この意味は完全なトリックの予感。

 しかし、さらにもう一つのエンディングが待っていた。イーライの登場だった。
 you have none of me in you.と、言ってはならない台詞を息子(養子)に言ってしまったプレインビュー。孤独しか残らぬ彼。そこへ自分の宣教に限界を感じたイーライが現れ、ビジネスパートナーを申し出る。プレインビューは洗礼の時に受けた屈辱を「私は偽預言者だ」と叫ばせるという「お返し」をする。こともあろうにプレインビューを「ブラザー」と呼んでしまったイーライ。血縁からの孤独感に自暴自棄となったプレインビューに、イーライも言ってはならない一言「ブラザー」をも言ってしまった。イーライを叩くことで、自分の道も断った主人公の最後の台詞は I'm finished 「俺は終わったよ」。

 映画鑑賞直後に調べてみた。There will be bloodという言い回しは、旧約聖書の出エジプト記にある「10の災い」から引用されていると知った。神ヤハウェが、エジプトのファラオ(王)の圧制からイスラエル民を助けるため、エジプトに災いを与えようと、弟子のモーゼにさせたことが10の災い。その一つが、「お前の棍棒を手にしなさい。それでエジプトの水の表面を叩きなさい。川、水路、池、すべての湖は血に変わるだろう。エジプト全土で、血に変わるのだ。(There will be blood everywhere in Egypt.) 」(拙訳) エジプトの生活を支えるナイル川を、「死の川」にしてしまうことで、エジプトへ打撃を与える。
 ここにもタイトルのbloodの意味が隠されているのだろう。
 bloodその4=死をもたらすものの象徴。
 プレインビューとイーライ、神への信仰という点では明らかに対極である。神はおろか、周りの者は信じず、1人でことをすすめるプレインビューは間違いなくファラオだ。しかしイーライがモーゼである、ということではない。イーライの宗派は本流とは違うThird Revelation(第3の黙示)というものであり、人々を支配下に置くことを目的とする点では、プレインビューと共通なのだ。ならば2人とも圧制をしたファラオなのではないか。彼らは、それぞれの組織(社会)で、神により周りの水をすべて血に変えられてしまい、生きるすべを断たれるのだ。イーライは衝撃的なラストシーンで、自らの偽善さをプレインビューによりあばかれてしまう。その瞬間、2人は同じ位置に立ったことを認識したはずだ。

 そして、血の川のような石油の流れる様子から、最後の意味が見える。
Therewillbeblood3  bloodその5=石油。そして欲望のメタファー。
 どす黒い血のような色をした石油、それにまつわる様々な欲望が渦巻く世界。

 イーライの遺体から静かにbloodが流れるラストシーン。そしてI'm finishedの台詞。bloodを巡る様々な糸が切れたような、印象的な映像だった。

« Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!(Mr.Bean's Holiday) | トップページ | ハンコック(Hancock) »

映画」カテゴリの記事

コメント

 この映画、後味はそれ程よくなかったです。でもデイ・ルイスの芝居に圧倒されて、特に彼のボーリング場の狂気は、見ている者を爽快にさせるサブライムを感じさせる。彼が生涯、敵にしたのは「神」そのものだったのですねぇ・・・私は鑑賞中は、神を語りながら本当の信仰を持ってない者に憎しみを持っているのかとも思ったけど。
 なるほど聖書によればそうなんですねぇ、勉強になります。でも私には、彼を「闇のアメリカ史そのもの」としてのアイコンとして見る方がピンと来ます。
 過去の自分を捨て、窮地に陥らせ、わが身を「苦しみの世界」に生ませた神への復讐。自分自身の頭と度胸とその肉体で富を握る、飽くなきフロンティ精神。苦しみを贖罪として昇華させる偽善性さえ拒否する度胸と度量には感服せざるを得ないキャラクターでした。それを演じきるデイ・ルイスの芝居は、圧巻でしたね。
 いまいちだったなぁと思うのは、やっぱりストーリー「展開」。PTアンダーソンは好きな監督だし、過去の作品は「本」がすぱらしいのですが、今回のはどうも「迷い」があったように思う。どのプロットもパッとしないのです。他の素晴らしい役者をもったいないくらい脇に追いやっていたし。主演がデイ・ルイスじゃなかったら大失敗してたんじゃないかと思う。
 基本的にはきっとキューブリックのオマージュが含まれているのだと感じた。特に「I am finished. 」後のエンディングの持って行き方。「clockwork orenge」を思い出させますね。なんか妙に共通するものがありそうな気がする・・・のは僕だけでしょうね。しかし・・・やはり天才に勝てない。どうしても二番煎じにしか見えないし・・・僕の勝手な見方ですけどね。
 デイ・ルイスはやっぱり「Gang of new york」がよかったなぁ。

madmaxさん、詳細なコメント、ありがとうございます。
「闇のアメリカ史」とは、上手い表現ですね。私はタイトルに触発されて聖書からこの映画を読み解こうかと考えたのですが、フロンティア精神から切り込んでいるmadmaxさんのレビューも納得できます。フロンティアにはキリスト教の影響もあるのですが、神に挑戦的な主人公を登場させて、闇の部分を表現する、という視点もありますね。
キューブリックへのオマージュ、なるほど!言われて気付きました!ありがとうございます。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/510100/42348686

この記事へのトラックバック一覧です: ゼア・ウイル・ビー・ブラッド(There Will Be Blood):

« Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!(Mr.Bean's Holiday) | トップページ | ハンコック(Hancock) »

2015年10月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

洋楽に関するおすすめブログ

おすすめ映画レビュー

無料ブログはココログ