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映画タイトル別一覧

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2008年9月

2008/09/28

再会の街で(Reign Over Me)

愛が私を支配する・・・悲しみは、分かち合える人がいて癒される
Reignoverme
 原題がReign Over Me。The Whoの1973年の名盤「四重人格」の名曲のタイトルから引用されている。フー以外にも、ブルース・スプリングスティーン、ジャクソン・ブラウンの70年代の侏儒の名作が流れる。それらにも涙しながら、鑑賞できる、素晴らしい人間ドラマ。主人公チャーリーを演じたアダム・サンドラーの好演を見逃すことは後悔に値する。多くの人に見てもらいたい作品だ。

 同時多発テロ911で妻と3人の娘の家族すべてを失った主人公チャーリー。仕事も辞め、仲良くしていた友人達からも離れ、妻の父母からも遠ざかり、1人ニューヨークのアパートで、毎夜ゲーム(PS)をして過ごす。PTSD(心的外傷後ストレス障害)であるのは間違いないが、これほどまでに心を閉ざす彼の心境とはどういうものなのか。
 それは、家族との忘れられない思い出の記憶が彼を苦しめる、ということではないか。幸せな時代を思い出せば思い出すほど苦しみが増す。ならば、忘れたらいいのか。否、である。忘れられるはずがない。だからこそ、家族と暮らしたアパートを離れない。思い出すことを避ける。ゆえに自分の家族をよく知っていた仲間たちから遠ざかる。

The Who の Love Reign Over Me(愛が私を支配する)が、彼の心を代弁している。

愛だけが雨を降らせることができる。
海岸が海にキスされるように。
愛だけが雨を降らせることができる。
大地に横たわる恋人たちの汗のように。
愛よ、僕を支配せよ。
僕の上に雨を降らせ。(拙訳)

(The Who "Reign O'er Me"歌詞の全訳はこちら

http://blogs.yahoo.co.jp/hotel_zihuatanejo/17825581.html

雨は神が人々にもたらす言葉である、と言われている。天が彼に語りかけるのだ。優しく、そして辛く、雨となって語りかけるのだ。家族への愛が彼を支配する。それが、彼の心境すべてである。

Reignoverme2 彼は、何度もキッチンのリフォームをしている。妻との最後の会話が、キッチンのリフォームについての話であったからだ。彼は妻からその話を持ちかけられた時、聞こうとしなかった。その記憶も彼を苦しめる。それゆえのキッチンリフォームなのだ。忘れられない最後の会話の影響がここにも表れている。家族への愛が彼を支配しているのだ。

 そんなチャーリーの苦しみを一言で言い表した傑出の台詞がある。

 「あなたは苦しみを分かち合える人がいるからいい。」 

 法廷でチャーリーが義母に言ったこの言葉。映画「イントゥ・ザ・ワイルド」での台詞を思い出した。その言葉は「幸せは、分かち合えた時に現実となる」。結局、喜びも悲しみも、共有する相手がいてこそ、なのだ。人間はだれもが、一緒になって喜んでくれる人、一緒になって悲しみを感じてくれる人、が必要なのだ。
 チャーリーはその相手が、娘と孫を亡くした義父母でもよかったはずなのだが、彼はそれを拒んだ。家族付き合いをしていた会計士家族でもなかった。1人で苦しむことを選んでしまった。元ルームメートのアランに出会い、若いセラピストに出会い、話すことを促される。しかし同時にその行動は、愛する家族を亡くした深い悲しみに再度襲われる結果となる。彼が一番恐れていた結果だ。一旦は自暴自棄になり、銃を手にする。銃弾がみつからず、そのまま町に出て、警官に銃を向けるという、死を覚悟した行動をとる。逮捕され、精神鑑定を受け、法廷へ。
Reignoverme1 その時に発せられた言葉 「あなたは苦しみを分かち合える人がいるからいい。」 彼の辛さは、まさにその相手を求められない辛さだったのだ。

 そして、彼は変わっていく。ただし、分かち合える人を探し始めたのではないだろう。アパートを移り、部屋の雰囲気を明るくしただけだ。家族を忘れるためではない。記憶がなくなる筈はないのだから。思い出そうとしない自分ではなく、思い出しても強く生きていける気持ちを持ち始めたのだ。立ち止まらず、ほんのわずかな一歩を踏み出したに過ぎない。しかし、その一歩は大きい。そしてきっと、彼は苦しみも喜びも分かち合える人をいつか見つけるだろう。彼の視線は未来を向き始めたのだ。

 アランにも、この出来事により大きな心境の変化と、成長が見られるが、私はあえてチャーリーの心についてのみレビューした、ということを最後に付け加えておく。

2008/09/14

イントゥ・ザ・ワイルド(Into The Wild)

「幸せは、分かち合えた時に現実となる」

Intothewild1  傑作に出会った。数々の台詞に、心を動かされた。

 裕福な家庭に育った大学卒業すぐの若者が、いわゆる「自分探しの旅」に出る、という、実話を元にしたストーリー。最初は、世の中を何も知らない若者のわがままな一人旅、という印象があったが、私のお気に入り俳優ショーン・ペンが監督・脚本ならば、そんな単純なものではないはず、と思ってはいた。やはり、その通りであった。

 物欲にまみれた現代社会に疑問を持ち、大学院進学をやめ、学費をすべて慈善団体に寄付し、身分証明書を燃やして、一人旅にでた主人公クリス(エミール・ハーシュ)。名前さえも捨て、アレックス・スーパートランプ(「放浪者アレックス」)と名乗ることにする。「信念よりも、愛よりも、お金よりも、名声よりも、、、真実が欲しい」とも彼は言う。裕福な暮らしを捨ててまで、彼はなぜ旅に出たのか。

 それは、親と子の関係。
 両親の結婚までのいきさつ、自分と妹の出生の秘密などを知った時、どれほどの衝撃を受けるか。両親の不仲が、子どもたちにどれほどの苦しみを与えるか。これらは、十分に「旅に出る理由」になりうるだろう。そして、この時の子どもの心境をうまく表現した台詞が映画の後半で発せられた。

 「子は親を許せないものだ」  

 旅の途中で出会う孤独な老人ロン(ハル・ホルブルック)の台詞である。
 親は自分を生み育てた絶対的な存在だからこそ、子どもは親に完ぺきさを望んでしまうものだ。そのため、親の未完全さを目の当たりにしてしまうと、許せなくなるのではないか。この台詞には、うならされた。

 そして、突然姿を消した息子を前に、慌てる両親。その様子を、クリスの妹カリーンのモノローグが語る。その一つがこれ。

 「悲しみに直面すると、関係が修復される」

 不仲の両親が、息子失踪の事実の前で、お互いをいたわり合い始める。この時点で、クリスによる両親への抗議行動の目的は達成されたはずである。帰るべき時は、この時だっただろう。妹は既にこの時、それに気付いていた。クリスのモノローグは自分の気持ちだけを表しているが、カリーンのモノローグは自分はもとより、兄・両親の心情を巧みに描写している。モノローグが非常に効果的に使われていると感じた。

 さらに追い撃ちをかけるように、ロンの台詞も響く。

  「人を許した時、神が見える、光が見える」

 クリスは両親を許す時だったのだ。時機を逸したのだ。

 そして、様々な人と出会い、別れ、そして家族の元に帰るチャンスを逃し、クリスが北のアラスカで見つけた、人生を生きる意味とは何か。

 「幸せは、分かち合えた時に現実となる」(Happiness is only real when shared.)

Intothewild2  私は、幸せに感じる瞬間を求めて人は生きるのだ、と思う。つまり、家族や愛する人・仲間とともに、人生で幸せを求めていくことが、人生なのだ。
 クリスは、旅の途中でこう呟いていた。「人間関係が人生に必要とは限らない」。きっと、彼は最後の場面でこの言葉の間違いに気付いただろう。人は人と関わってこそ生きて行ける。人は1人では生きられない。気付いた時には、もう遅かったのだ。が、気付くことができたことで、彼はかすれゆく意識の中で、両親との再会を思い描くことができたのではないか。同時に、私たちに十分すぎるほどのメッセージを残してくれたのだ。決して、裕福な若者のわがまま一人旅映画ではない。

 最後に一言。荒野、嵐、大農場、砂漠、湖、大河、どの映像も大地の、自然の、生命の息吹が溢れていたし、パール・ジャムのエディ・ベダーによるアコースティックな音楽もストーリーに、映像に実にマッチしていた。このことも付け加えておきたい。

2008/09/09

パフューム - ある人殺しの物語 (Perfume - The Story Of A Murderer)

スクリーンから匂いが伝わってくる

Perfume この映画、犯人はわかっているので、犯人探しのプロットはない。警察などが犯人探しをどのようにすすめるか、でもない。先のストーリーが全く読めない、ラストの展開も全く予想外。南仏のグラース、ラベンター畑や岩山に作られた街。美しい景色と町並みが、美しさよりも恐怖感を増させる効果を生むとは予想だにしなかった。殺人事件なのに、どこかおとぎ話・夢物語のような雰囲気。不思議な感覚に浸った映画だ。

 映画の重要な鍵となるのは、臭い(匂い)。映像からはどうしても伝わらないもの。それをどう伝えるか、この映画の挑戦的な試みだろう。その点は、対象物のアップを多用することで表現できているのではないか。画面いっぱいに広がる対象物は、バラであったり、果物であったり、焼き立てのパン、ラベンダー畑、などなど。被害者となる女性たちの美しい肌にも接近するカメラ。不思議なことに、これらの映像が、私たちの想像力をかきたてて、臭いがしている気持ちにさせてくれるのだ。前半のグロテスクな場面も、臭気が今にも漂ってきそうだった。
 ただ、残念ながら、香水に関しては、臭いが感じられなかった。特に、誰もがひれ伏す、究極の香水の臭いとはどんなものなのか、どうしてもイメージできなかった。それは私の想像力の欠如なのか。

Perfume2  主人公のグルヌイユ、自分に体臭がなく、臭いに対して並外れた感覚を持つ。何キロも離れていても、臭いを嗅ぎつけられるというのは想像を超える。誰からも愛されず、人間としての常識を何一つ持ち得ずに育った男、という設定は、この映画〈物語)から現実感を完全に削ぐことになったと思う。ゆえに、夢物語。目的を果たすためなら何でもやるという強い意志と、手際よく抜け目なく行動する姿が見える一方、時には愚鈍で素朴な一面ものぞかせる。そんな主人公を演じたベン・ウィンショーの演技、特に目の表情が秀逸であった。

 いくつか疑問点が残ったのも確かだ。
 なぜ、あのような究極の香水を牢屋まで持って来れたのか。
 映画の最初のシーン、引きずられて大衆の前に立つ姿は最後には出てこない。あのシーンこそが現実であり、映画最後の部分はグルヌイユの夢ではないだろうか。

 そして最後は夢の中で、最初に惹きつけられたプラム売りの女性と結ばれる、そして、自分の生まれた場所にもどり、人々に愛されて消えていく。夢物語としか考えられない疑問点と結末。通常の映画の理解を越えて考える必要のある映画なのだろう。

Perfume3  最後に一点。映画作りにおいて、フランスを舞台にして、登場人物が英語で話すことにどうしても違和感を感じる。グルヌイユはあまりしゃべらないので英語であることはあまり気にならないし、ダスティ・ホフマンとアラン・リックマンは渋い演技を見せてくれてはいるが、ここはフランス語であってほしかったというのが正直な感想だ。

2008/09/06

ハンコック(Hancock)

着眼点はマル、後半は評価が割れるかも

Hancock1  ヒーローものやアクションものの映画は、やたら周りを破壊してしまうという特徴がある。カーチェイスで、何の落ち度も関係もない人たちの車が横転したり、犯人を追っかけるために一般市民の車が盗まれ、最後には破壊されてしまう。はたまた、町中で市民を巻き込んでの銃撃戦となり、建物が破壊され炎上する。しかし、悪人は倒れ、ヒーローは祝福される。そんな映画ばかりを見させられてきた。そんな映画の世界に、ハンコック登場。 犯人を捕まえ、人の命を救ってくれるスーパーヒーローなはずなのに、酒好きでキレやすく、手加減できなくて余分な被害を与えてしまうために、みんなから嫌われてしまうヒーロー。主人公をこんな設定にしてしまい、周囲の評価を真逆にしてしまうとは、見事な着眼点だ。ある意味、従来のヒーローももの映画への皮肉ともとれる。人を助けるのなら、もうちょっと方法を考えろよ、と言いたげだ。

 そんな、ユニークな設定でスタートしたこの映画、中盤まではその設定が見事に観客の興味関心のツボを押さえていく。好かれるためにはこうすべきだ、とプロデューサーがアドバイス。疑いながらもその指示に従い、ねらい通りの展開になるのに気付くハンコック。ウイル・スミスの、ちょっとだらしなく、ちょっと無頼な雰囲気が主人公のイメージとマッチ。また、どこかうさん臭さのある口達者なPRマン役のジェイソン・ベイトマンもいい味出している。その両者の掛け合いが、ストーリーにテンポを生み出して行くのだ、ハンコックが人気者になる中盤までは。

Hancock2  ところが、中盤以降、驚きの展開が待っていた。〈ネタばれしない程度に書きます) シャーリーズ・セロンのエピソードが新たな空気を映画に吹き込んだのだ。中盤までは、コメディやパロディの要素もふんだんに入るが、ここからは一転するのだ。いわゆる、通常のヒーローものへのストーリーの変化。良く言えば、1本で2つの映画が楽しめる。ハラハラ、ドキドキのアクションもの。が、悪く言えば、お決まりの結末に向かい、結局ハリウッド映画はそうなるのね、というストーリー展開。予定調和の感動ストーリー。前者と後者、どちらと考えるかは、観客の好み次第なのだろう。
 単なる超大作アクションものやヒーローものはあまり好まない私としては、新しいヒーロー像を提示してくれるような期待感を持って映画館に向かったので、やや後者よりの印象を持った。中盤までの、ちょっと皮肉めいたストーリーを、もっと丁寧に紆余曲折を経てすすめて欲しかった。3者(スミス、ベイトマン、セロン)が、1対1となる場面で、それぞれ何かを隠しながら、疑いながら台詞の掛け合いをする場面がもっとあってもよかったのではないか。なぜなら、この映画の後半の流れを決定する驚きの事実そのものが、あまりにもあっさりと語られてしまうからだ。この事実を知らせる前にもっと工夫ができたのでは、と思わざるを得ないのだ。

 ただ、エンディングでは、幸せなカップルと、設定通りの型破りでキレやすいハンコックの姿が見られ、気分よく映画館を去ることができたことは確かだ。だから評価は割れる、と思うのだ。

 最後に一言。キレやすいハンコックの一面を見せるためとはいえ、asshole(ケツの穴、クソッタレ)という猥語がポイントで何度も登場するのには、ちょっと閉口した。日本語字幕は「クズ」と表示していたが、本来はもっと過激な(下品な)言葉。

2008/09/01

ゼア・ウイル・ビー・ブラッド(There Will Be Blood)

タイトルのbloodに込められた意味を考えると、この映画が読み取れる

ネタバレしています

Therewillbeblood  主人公の石油王ダニエル・プレインビューを演じるダニエル・ディ・ルイスと、若きカリスマ牧師イーライ・サンデーを演じるポール・ダノ、この2人の演技にテーマすべてが集約されている映画だ。映画のプロットは、石油採掘を巡る一人の男の物語。彼と周りの人物がどのようにかかわってくるか。先の読めない展開と、ディルイスとダノの演技にどんどん引き込まれていった。

 私が注目したのは、なぜタイトルがThere will be blood、石油なのになぜ血なのかということ。映画を見ながら、また観賞後にいろいろ考え、調べてみた。bloodには複数の意味が込められている、すべての出来事にbloodが関わってくる、ということに気付いた。

 bloodその1=流血。
 石油採掘には多くの犠牲があった。利権を巡り、血が流れることもあった。特に映画の後半、血なまぐさい場面は登場する。私は当初、これが最も強い意味かと思ったが、観賞中の印象はノー。むしろ、カムフラージュとなっている気がする。

 bloodその2=血の力、すなわち洗礼。主(神〉より受ける血。
Therewillbeblood2  パイプライン建設のために、イーライの宗派の洗礼を受けることを要求されるプレインビュー。しかしその場で「私は罪人(sinner)。私は子どもを見捨てた」と叫ばされる。その屈辱的な行いは、彼の哲学からは許されるものではないだろう。賛美歌There is power in the bloodがバックに流れる。「あなたは悪に勝利したいか?その血には素晴らしい力がある。」と歌われる。神など信じないプレインビューが、勝利したいためだけにthe power in the bloodを受け入れる。彼は自らの利益のためなら、信仰も洗礼までも道具にする。

 bloodその3=血縁。
Therewillbeblood1  誰も信じない主人公プレインビュー、信じるのは血のつながり、family。自分の息子のみを頼りにする。生き別れした弟をすぐにパートナーに引き入れる心境は、血のつながりしか信じない彼の主義を明確に表している。
 ところが、エンディング近くでどんでん返しが待っていた。独立を願う息子に「お前は俺の子ではない、血はつながっていない」。この台詞の英語は、You have none of me in you. bloodとは一言もいっていない。この意味は完全なトリックの予感。

 しかし、さらにもう一つのエンディングが待っていた。イーライの登場だった。
 you have none of me in you.と、言ってはならない台詞を息子(養子)に言ってしまったプレインビュー。孤独しか残らぬ彼。そこへ自分の宣教に限界を感じたイーライが現れ、ビジネスパートナーを申し出る。プレインビューは洗礼の時に受けた屈辱を「私は偽預言者だ」と叫ばせるという「お返し」をする。こともあろうにプレインビューを「ブラザー」と呼んでしまったイーライ。血縁からの孤独感に自暴自棄となったプレインビューに、イーライも言ってはならない一言「ブラザー」をも言ってしまった。イーライを叩くことで、自分の道も断った主人公の最後の台詞は I'm finished 「俺は終わったよ」。

 映画鑑賞直後に調べてみた。There will be bloodという言い回しは、旧約聖書の出エジプト記にある「10の災い」から引用されていると知った。神ヤハウェが、エジプトのファラオ(王)の圧制からイスラエル民を助けるため、エジプトに災いを与えようと、弟子のモーゼにさせたことが10の災い。その一つが、「お前の棍棒を手にしなさい。それでエジプトの水の表面を叩きなさい。川、水路、池、すべての湖は血に変わるだろう。エジプト全土で、血に変わるのだ。(There will be blood everywhere in Egypt.) 」(拙訳) エジプトの生活を支えるナイル川を、「死の川」にしてしまうことで、エジプトへ打撃を与える。
 ここにもタイトルのbloodの意味が隠されているのだろう。
 bloodその4=死をもたらすものの象徴。
 プレインビューとイーライ、神への信仰という点では明らかに対極である。神はおろか、周りの者は信じず、1人でことをすすめるプレインビューは間違いなくファラオだ。しかしイーライがモーゼである、ということではない。イーライの宗派は本流とは違うThird Revelation(第3の黙示)というものであり、人々を支配下に置くことを目的とする点では、プレインビューと共通なのだ。ならば2人とも圧制をしたファラオなのではないか。彼らは、それぞれの組織(社会)で、神により周りの水をすべて血に変えられてしまい、生きるすべを断たれるのだ。イーライは衝撃的なラストシーンで、自らの偽善さをプレインビューによりあばかれてしまう。その瞬間、2人は同じ位置に立ったことを認識したはずだ。

 そして、血の川のような石油の流れる様子から、最後の意味が見える。
Therewillbeblood3  bloodその5=石油。そして欲望のメタファー。
 どす黒い血のような色をした石油、それにまつわる様々な欲望が渦巻く世界。

 イーライの遺体から静かにbloodが流れるラストシーン。そしてI'm finishedの台詞。bloodを巡る様々な糸が切れたような、印象的な映像だった。

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