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映画タイトル別一覧

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    外部HPに、当ブログの映画レビューの記事「映画タイトル別一覧」を作りました。

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2008年8月

2008/08/30

Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!(Mr.Bean's Holiday)

通じない3つの言語が織りなす妙技・・・ビーンに言葉は要らないのだ

329195_01_01_02  テレビ版全巻持っている程のMr.Bean大ファンの私。何年か前のMr.ビーンの劇場版第1作は、TVシリーズで使われたギャグの二番せんじ、ビーンが喋り過ぎ、無理やりストーリーをつなげて失敗作だった。続編はつまらなくなると言うのが相場。ならば2作目は、、、とあまり期待はしていなかった。だから、近くで劇場公開がなかったこともあり、今ごろDVD鑑賞することに。

 これが、嬉しい誤算。前作とは比べ物にならない傑作だった。

 私がそう考えるのは設定の秀逸さ。前作はビーンをアメリカに渡らせた。同じ英語圏。ところが今回はフランス。さらに、異なる3つの言語を上手く利用していた。英語を話す(というか、実際はほとんど話していない)ビーン(ローワン・アトキンソン)、フランス語を話す女優の卵サビーヌ(エマ・デュ・コーヌ)、ロシア語を話す少年ステファン(マックス・ボルドリー)。言葉では全く意志が通じない、だから表情やジェスチャーが重要になる。そして、言葉では伝わらないから、相手が何を考えているか、どうしたいのか、何を求めているのか、そして、何をしてあげればいいのか、心と心で感じ合わなければならないのだ。
329195_01_02_02  ビーンは本来、人の迷惑省みず、自分のしたいことだけにまっすぐ、そのためには手段は選ばず突き進む。その場を取り繕ったり切り抜ける感覚だけは鋭い。そんな人物なのに、ステファンを父の元に送り届ける気持ちになったのは、言葉に頼らないで気持ちを汲みとろうとした結果なのだろう。言葉が通じていたら、優しくはない、「お前は勝手に行け」と突き倒すだろう。だから、ステファンとビーンがお互い分かり合おうとするのが自然なのだ。
 ビーンはしゃべらないので、サビーヌはロシア人と勝手に思い込む。だから英語がしゃべれてもフランス語で話す。言葉が分からないビーンでも、映画撮影、女優、カンヌ映画祭に行く、それだけで彼女の気持ちを理解するのは容易だろう。(ま、ビーンが彼女の車に乗るのは不自然だし、彼女がビーンに優しく接するの理由ははっきりしないが、彼女のキュートさに免じて許そう。)ともあれ、人の言語を変えたこと、この設定が功を奏したと思う。

 この、言葉の違いも随所にコントとして使われていて、痛快だった。
 フランス語を褒められ、最後に「グラシアス」。これはスペイン語だけど本人は分かっていない。結局最後までこれで通す。(ちなみにフランス語は「メルシー」。)
 アビニョンの町で、少年とCD売り兄ちゃん、字幕では会話が成り立っているようにみえるが、ロシア語とフランス語で全くかみ合っていない。そのスキにスピーカーを拝借。その後の、オペラを口パクで演じる場面は笑いを越えて涙が出るほどだった。
 3人が出会った場面、ステファン少年がビーンにロシア語でサビーヌのことを「彼女か」と聞く。サビーヌはビーンにフランス語でステファンのことを「息子か。じゃあ結婚しているのか」と聞く。ビーンはまとめて、ウイ(yes)、と答える。2人は揃って、「やるねえ」と言う表情を見せる。

329195_02_01_02 こうした場面が、南フランスの景色や町並みとともに、映し出される。ロードムービー風な映像も、この映画に適度なテンポを加えていたと思う。異なる言語と景色、そしてストーリーがマッチしていた。それに加え、ビーンに余分なことを喋らせなかったこと、これもMr.ビーン・シリーズの原点に戻ったようで、効果的だった。

 この他、気になった点をいくつか下記に列挙。
 ハンディカメラをビーンが持って旅行するのには何か意味があるのかな、単に珍しいものを使いたがるだけかな、写した映像に何か意味があるのか、単なるギャグの道具なのか、と思いきや、カンヌ映画祭の場面でその意味が分かるようにしてあった。ちゃんと布石がうってあったんだ。

 ウイレム・デフォーの作った映画、見るからに独りよがりの映画。あれって、カンヌ映画祭は分かりにくい映画ばかりを評価している、という皮肉なのかな。

 ラストシーンで、海岸に向かう場面。(ネタばれしないで書きます。) この映像はこの映画の最高のギャグ。DVDで何度も繰り返し見てしまった。実によくできている。見事。この場面だけでも、ローワン・アトキンソンのギャグセンスが光る場面だ。

 顕彰の抽選の場面に出てきた女の子、Lily Atkinsonって、彼の娘のようだね。

 ビーン、鞄とパスポートなくして、ちゃんと戻ってきたのかな。無事にイギリスに帰れたかな。そういうことはミスタービーンでは気にしちゃダメでしょうね。

2008/08/22

グッド・シェパード(The Good Shepherd)

すべての事象が結末につながる

Goodshepherd  CIAに人生を捧げた男の苦悩を描く、3時間近い大作。キューバ危機の頃のピッグス湾事件を題材に、CIAの内部を描く社会派サスペンス・ミステリー映画だ。フランシス・フォード・コッポラ製作、ロバート・デ・ニーロ監督、と大物が名を連ねているのも魅力。
 数多い登場人物、誰もがストーリーに様々な形で関わってくる。それも非常に複雑な形で。信用と裏切り、騙しあい、かけひき。「信じられると思ったことは信じない、信じられないと思ったことが信じられる」という台詞(誰のことばだったか忘れてしまった)が全ストーリーをおおう。どの場面も後のストーリー展開に必ず絡んでくる。ちょっとでも気を抜いたらストーリーに追いつけない。ゆったりとした流れだが、内容的には忙しい映画だ。

 犯人探しのミステリーとしては、実は弱いプロット。かなり早い段階で、情報漏えい者の予想がついてしまう。主人公のエドワード(マット・ディモン)も途中で気付いた(と私は感じた) 悪意のない漏えい。ただ、その漏えいを巡って様々な駆け引きがみられるサスペンスとして見れば、よく練られた脚本だ。フレデリック教授、KGBの亡命者2人を巡る話、ソ連の諜報部員ユリシスとの微妙な関係、長官のアレン(ウイリアム・ハート)の辞任に至る展開、どれ一つ取っても一本の映画になるほどの内容だ。もっとも、あまりに詰め込みすぎたので、頭の中が整理できない、という短所はある。それが「難解な映画」とも取られるだろう。
Goodshepherd2  また、予告編では家族とCIAの職務の間で揺れ動く主人公の様子が見られるのではと感じたが、妻役のアンジェリーナ・ジョリーの登場回数が少なく、存在感も薄い。彼女を起用する意味があったのか、と疑問に思ったのは私だけだろうか。逆に親子(父と息子)の関係には考えさせられる場面がちりばめられていた。

 原題The Good Shepherdの意味は、新約聖書ヨハネ福音書10章にある次の一説を引用すると、よく分かる。長いが引用する。

「私は良い羊飼いです。私は自分の羊を知り、羊たちも私を知っている。父が私を知っていて、私が父を知っているのと同じです。そして私は羊のために自分の命を投げ打ちます。私には他の羊がいますが、私が囲っているものではありません。その羊たちも私が連れていかなければなりません。そして私の声を聞き、一つの群れ、一人の羊飼いとなります。私の父が私を愛してくれるのは、私が自分の命を投げ打つからです。それは私が再び受け継ぐためなのです。誰も私から取り去ったわけではなく、私が自ら投げうつのです。私はなげうつ権限があり、再び受け取る権限があります。この指令を私は父から受け取ったのです。」(拙訳)

 羊飼いは自分、羊は国家。エドワードは、国家のために人生を捧げる。それは、父に愛されるため。誰より父への愛情に餓えていたエドワード。故に自分が父となり、妻よりも子どもに心を注ぐ。息子は父に近づきたい一心でCIAに入ろうとする。息子の危機に気付き、彼は別の方法で辞任させるターゲットを探し(アレンのスキャンダルを極秘に探すくだり)、息子を助けようとする。羊飼いは父、羊は子どもでもあるのだ。
 そしてエドワードの父も、良き羊飼いだったのだろう。彼は国家という羊のために力を注いだにもかかわらず、疑われ、自ら命を絶つ。 そして、国家のために、エドワードは父と同じ道を歩む可能性があるのだ。彼はそれを噛みしめ、父の遺書を焼き、今日もCIAの任務につくのだ。

2008/08/19

シッコ(Sicko)

医療制度は国家の責任で行われるべきもの

Sicko1  マイケル・ムーア監督は確信犯である。取材が始まる前から、結論も目的も決まっている。納得しない人は、始めから寄せ付ける気が無い。
 この映画を、良質なドキュメンタリーと言うには少し抵抗がある。ドキュメンタリーとは、ある出来事に関してミクロの視点で取材を重ね、客観的事実を積み重ねていくことでその事象の本質を探り、問題点を浮かび上がらせ、完成した作品である。しかし、ムーア監督は、ある出来事に関して、編者の考えを立証するために取材を重ね、裏付けとなる事実・証拠を積み重ねていく。それも徹底的に被害者・弱者・非権力者の立場にたって。逆の立場の意見は紹介こそするけれど(反論するチャンスは与えるけれど)、必ず再反論する映像を再度流す。
 だから、ドキュメンタリーの手法をとってはいるが、自分の主張を強烈にアピールする映画となっている。それゆえ、彼の意見に賛同できない人にとっては、彼の手法は卑怯な方法に見える。賛同できる人には、溜飲の下がる思いで鑑賞できる。

 ならば、私はどうか。
 賛同する人間である。弱者の立場を伝えること、体制に対して批判的精神を持つことは、ジャーナリズムの本質であると考えるからだ。
 ムーア監督は始めからアメリカの医療制度には問題があり、医者と保険会社が完全にグルであると勘ぐって、取材をしている。保険がおりないために高額な手術代が払えず、事故で切断してしまった指が元に戻らなかった男性の話、過去のわずかな病歴(といえないほどものも)を申告しなかったとして保険金の支払いを拒否された女性の話など、あり得る話だなとは思った。しかし、保険会社に有利な診断をする医者に報償金が払われるシステムには驚愕した。さらに、同時テロ911のボランティアの人たちが、後遺症を持ちながらもアメリカの医療システムでは救済されないという話は衝撃的だった。追い討ちをかけるように、アメリカが批判するキューバでは、必要な医療が必要な時に受けられるという事実が知らされる。キューバだけでなく、イギリス、フランスの医療制度もアメリカとは比べ物にならないほど充実している。イギリスでは、サッチャー時代を過ぎても「ゆりかごから墓場まで」の福祉の精神は脈々と受け継がれているのだ。

Sicko2  もちろん、ムーア監督は、巧みに事実を隠している。欧州各国は十分な福祉を受けるかわりに、高い消費税(物品税)率を払っている。キューバは手厚い医療だが、社会主義国ゆえの自由のない社会と所得の低さがある。本来のドキュメンタリーならこの辺りの事実もしっかりと組み込むはずだが、ムーア監督はそんなことしない。みんな分かっていることだ、とわずかも伝えない。

 アメリカは医療選択の自由度が高い。保険の種類も自分ですべて選ぶ。銃の所有においても、「自由」が優先される。ただし、金持ちになる自由もあれば、貧困の自由もあるのだ。それをどう考えるか。ムーア監督の問題提起なのだ。そして、彼の主張はハッキリしている。善意のある一般庶民が苦しむ施策は間違っているんだ、と。医療制度は、自由に頼るのではなく、国家の責任だと。健康保険制度が必要なのだと。
 タイトルのsickoは俗語で「変質者、変態」。映画の内容に合わせれば、映画チラシにあるように、「ビョーキ」(漢字の病気、じゃな く、カタカナで書いた方が雰囲気が出る)。医療制度に関して、今の状態はアメリカ自身「ビョーキ」になっている、とうことなのだろう。

 翻って、日本。医療制度に関しては、アメリカに倣おうとする政府の魂胆がアリアリとしている。鳴り物入りで始まった介護保険制度。知らぬ間に始まった後期高齢者医療制度。何のことはない、必要な介護や医療が以前よりも十分受けられなくなってきている。その中で消費税アップの話題。そして、貧富の差の拡大。このままでは、消費税は欧州並、医療はアメリカ並、そして国民のおかれた立場はキューバ並、になってしまうのではないか。

 この映画は、アメリカ人に向けたムーア監督の異議申し立て、であるが、日本人にとっても考えさせられる内容であるのだ。

2008/08/15

幸せのレシピ(No Reservations)

予約なし? 遠慮なし? タイトルが意味深

 ドイツ映画の「マーサの幸せのレシピ」のハリウッド・リメイク版。オリジナルは見ていないので、2つを比べることなく、純粋な気持ちで鑑賞した。予告編などで、ストーリー展開もエンディングも予測の範囲内だろう。そうなると、映画の関心はおのずと、心理描写と出演者の演技で、感情移入できるかどうか、にかかる。

Noreservations1

 この映画の良い点は、キャスティングの良さだろう。
 アーロン・エッカート演じるニック、軽そうで愉快で、他人に優しく子どもが好きで、仕事の腕は確か。彼のまわりにはいつも人の輪と笑い声がする。人を引きつける魅力的な笑顔、心遣い。完ぺきな理想の男性像。いないよなあ、そんな男性。女性がほっとかないよ、なぜ独りものか。そんなニック役、アーロンにはピッタリ。
 キャサリン・ゼタ・ジョーンズ演じる主人公ケイト、仕事は完ぺき主義、誰にも気を使わない、気に入らなければ客だって言い返す。仕事に妥協はまったくない、いや、自分の意見のみを押し通す性格。怖いなあ、そんな女性。いくら美形でも男性が近寄らないのも無理はないかも。そんなケイト役、(彼女に失礼かもしれないが)キャサリンにははまり役か、と思えるほど、いきいき(?)と演じていた。
Noreservations2  アビゲイル・ブレスリンが演じるゾーイ、母親を亡くして心を閉ざしつつ、愛情を求めている。ちょっとワガママに振る舞うのも、愛情を求める姿そのもの。それでいて、妙にませているのはこの年代の女の子の特徴か。父親のいない彼女にとって、子ども目線で付き合ってくれるニックに父親を感じるのも自然な流れだろう。最初はLittle Miss Sunshineの主人公の女の子とは気付かなかった。随分スマートになり、可愛さが増した。

 ちょっと、主人公二人の人物設定があまりにも極端であるために、感情移入するには足りなかったが、ケイトが徐々に心をほぐし、ゾーイとの関係を上手く紡いでいく過程がとてもほほ笑ましかった。また、ゾーイがケイトの作る「高級料理」は食べないで、ニックの作った普通のスパゲッティをパクパク食べる場面も、そうだよね、食ってそういうものだよね、と高級食材を食べられない庶民として共感できた。見ていてホッとした気持ちにさせてくれる、heart-warmingな映画だ。

Noreservations

 タイトルNo reservationsは、reservationの意味に「予約」の他に「遠慮、心配」という意味があるので、「予約なし」または、「遠慮しないで」という意味どちらにもとれる。登場人物3人にとって人生は予想外の展開で「予約された人生ではない」し、本人と、姪と、恋人、それぞれ「遠慮しないで一緒に暮らそう」、という意味かもしれない。レストランの席の予約とかけてあることもわかる。あとでオリジナル版のタイトルを見たら、Mostly Marsha(たいていマーシャは、、)。映画としてはオリジナルの方が自然だろうが、リメイク版のタイトルはひねりがあり、意味深で面白いと感じた。

2008/08/14

ホリディ(Holiday)

ハンサムで子ども好きパパは女性の憧れか

Holiday  キャメロン・ディアス、ジュード・ロウ、ケイト・ウインスレット、ジャック・ブラックと全員主役級の役者がそろったロマンティック・コメディ。恋に破れた女性アマンダ(キャメロン)とアイリス(ケイト)が、「ホーム・エクスチェンジ」というインターネット・サイトで2週間お互いの「家」を交換する、という設定。強気のアマンダ、控えめなアイリスと性格的には真反対だけど、二人の立場がよく似ているのがポイント。ともにキャリアウーマン、それゆえに、恋に対して上手く行かない。そして、ホリデイでは別れた男のことを忘れようする。でも寂しさが時に大きく心に押し寄せる。イギリスのロンドン郊外の片田舎、ロス・ハリウッドの超高級住宅街、それぞれを「メルヘン」「セレブリティ」と憧れるのは、ないものねだりという点でも同じ。もうロマンスが訪れるしかない、という展開は、エンディングもほぼ予想がつき、観客の期待を裏切らない。意外な設定、真反対だけど実は同じ、ハッピーエンディングという点では、楽しみながら安心して見られる映画だ。そういう映画は絶対に必要だ、と思う。

Holiday2  個人的には、アイリスのエピソードに心が動いた。元脚本家の老紳士とのストーリーが微笑ましい。彼女が精神的に立ち直るきっかけ。ここが本当の見どころだと私は感じた。老紳士が薦める映画は、「すべて強い女性の登場人物が出てくるの」。映画好きを唸らせるなら、ここで映画の一覧を並べるのも面白いと思うが、あえてそうしなかったのはあくまでロマンティックなラブ・コメ路線の雰囲気を崩したくなかっただろう。通向きの映画にせず、さらっと流していくのがこの映画には向いていた。また、頑固な老紳士に、逆に自信を持たせるように援助する彼女の姿に、彼女の真の優しさを見た。こんな女性を捨てる男は、どんなヤツだ!逆に彼女の優しさを理解できたマイルズ(ジャック・ブラック)に、男の誇りだ、と思った。

Holiday1  アマンダのエピソードは、キャメロンとジュードの登場だからか、ロマンチック度が高い。アイリスの兄グラハム(ジュード)が、亡き妻との間に生まれた2人の娘を養う、という設定。イケ面がよいパパ、だなんて、女性にはたまらない存在なんだろう。出会ったその日にmake loveというのは本当のロマンスとは違うと思うが、ジュードのように相手があれだけハンサムなら仕方ないか。羨望の眼差しを向ける自分にハタと気付く。また、アマンダの行動を、陰の声が映画の予告編のように語る、アマンダにはその声が聞こえる、と言う演出は面白かった。アマンダが仕事を忘れようとしても忘れられない雰囲気をよく表しているし、コメディ度を高めている。

 最後に、イギリスの片田舎の雰囲気、ロスの華やかさの雰囲気がもっと出ていると、もっと楽しめたのかな、と言う気がした。メグ・ライアンの後継者はキャメロン・ディアスなのかな、彼女の演技の細かい部分がメグのそれと重なって見えた。でも、メグにはまだ敵わないのかな、キャメロンの演技はちょっと大げさかな。総合評価4のところ、これでちょっと減点、かな。 

2008/08/12

Once ダブリンの街角で(Once)

詳細が語られなくても、歌で感じられる

Once  日本で公開された時、アメリカでの上映のことで話題になった映画だったので、ぜひ見たいと思っていたのだが、この手の単館系の映画は地方都市に住んでいると見る機会が極端に少ない。DVDで発売されるのを待って(レンタルで)見た。

 とにかく、音楽が素晴らしい、の一言に尽きる。曲の歌詞がストーリーに直結している。ただ、歌が台詞代わりのストーリーになっているのではないので、ミュージカル映画風ではない。歌が主人公2人の気持ちとなっているのだ。主人公を演じる2人(グレン・ハンサードとマルケタ・イルグロヴァ)がミュージシャンであり、実際に自分たちで歌を作り演奏しているので、歌心が直に伝わってくるのだろう。2人がはじめてセッションをする場面がある。そこは楽器店。Falling Slowlyという曲を演奏する。サビの部分で完全にノックアウトをくらった。この場面一つで、この映画の価値はここにある、と感じた。

 つまり、 現実にありそうな設定でありながら、最後までファンタジーを雰囲気を残す。決して細かいことを語らない。二人の心の中は、すべて歌で表現する。

 なぜ男がそこに立って歌っているのか、なぜそこに女が立っているのか、なぜ二人はそれぞれの別れを経験したのか。そういった疑問は何一つ解決されない。だからストーリーには不満を感じざるを得ない。でも、この映画において、その種明かしは必要なのか。私の答えは「ノー」である。この映画はプロットが重要なサスペンスでも、心理描写が不可欠なドラマでも、ましてや観客を楽しませようというエンターテイメントでもないのだから。

 主人公2人の歌う曲の歌詞を聞けば、男がかつての恋人の寄せる思いも、女に感じ始める恋心もわかる。女が離れて暮らす夫への気持ちも(2曲だけだが)、伝わってくる。いや、分かる・伝わってくる、というより、こんな気持ちなんだろう、と想像力をかき立てられる、と言った方が正しいかもしれない。この映画には、それで十分じゃないだろうか。

 先に述べた曲(Falling Slowly)の他に、バンドで演奏するWhen Your Minds Made Upと言う曲が印象深い。5拍子のリズムで流れるような美しいメロディができるのか、と感心。「お前が決めたのなら、その道を進め」。別れた彼女に言っているのと同時に、自分に言い聞かせている雰囲気がでている。と同時に、主人公の女へのメッセージとも取れる。

 最後まで見終わって、エンドロールでハタと気付いた。主人公はguyとgirl。そうか、二人とも名前で呼び合っていなかったんだと。他もほとんど名前が出てこない。でも見ている最中は全く気にならなかった。名前が気にならない映画、それもいいアイデアだ。
 また、ハリウッド的ではないが、清々しいエンディングには好感が持てた。 また、単なるハッピーエンドや不幸な結末、はたまたご都合主義の大どんでん返しではなく、希望が持てて、その先のストーリーを想像させようというエンディングが、私は好きだ。とりわけ、アイルランド、ストリートミュージシャン、チェコ移民、貧困層という状況は、希望や夢を渇望させるのには適した設定なのかもしれない。

 楽器店のオヤジ、男の父親、女の母親、銀行の融資係りの男、集まったバンドメンバー、録音に立ち合った男、彼らに関わっていく人たちが2人に感情移入していくのは、音楽の持つ力なのだろうか。音楽好きの私は、そうであると信じたい。


Falling Slowlyの訳詞はこちらのブログに掲載。
http://blogs.yahoo.co.jp/hotel_zihuatanejo/16813621.html

When Your Mind's Made Upの訳詞はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/hotel_zihuatanejo/25365836.html

2008/08/10

帰らない日々(Reservation Road)

「音楽は天国に届くのかしら」「そう思うわ」

Reservationroad  家族の前で愛息をひき逃げされた家族、一向に犯人が捕まらず、捜査の進展を狙って依頼した弁護人が実はそのひき逃げ犯人であった、という設定は事前にわかっていた。様々な映画の宣伝に載っていた内容だ。そんな中で、両者の心理をどのように描き、どんなエンディングを迎えるのかに興味を持って、この映画を鑑賞した。タイトルの原題Reservation Roadは、事件が起きた道路の名前。

 簡潔に言えば、ミステリー的なストーリー展開より、家族への愛の表現、という視点で見ると良い映画だろう。

 被害者と犯人は同じコミュニティに暮らしている、子どもどうし・母親どうしはお互いを知っている、という狭い範囲でのドラマ、という点は、映画ではよくある設定。それゆえ、どのように、いつ、父親が犯人に気付き、どうストーリーが展開するのかが注目の第一点。これについては、物足りなさを感じざるを得ない。狭いコミュニティで起きた事件で、大都市ではない小都市での話、数か月も捜査の進展がない、というのはちょっと疑問を持った。ローラー作戦ですべての車の所有を調べることは難しくないはず。ただ、これは日本的な感覚かもしれない。これはアメリカ警察の捜査の現状なのだろうか。
 犯人だとわかる場面も、ある瞬間に突然気付き、車の写真だけで犯人と信じて疑わない。単純過ぎる気がしないでもない。何度も顔を合わせているのに、突然気付くものなのか。
 エンディングはミステリー調になり、ある意味この映画の一番の山場。ネタばれしない程度に書くと、一般的なミステリーに比べれば人道的だろう。悪くはないし、おそらくこの映画の目的はここにはないのだろう。ただ、ノー・カントリーやミスティック・リバーなどのように、世の中の不条理を描く方が印象に残り、私たちに何かを考えさせてくれることは確かだ。

 ストーリー展開には、不満を感じたが、もう一つの視点、双方の心理描写については、よく描かれているのではないか。家族ヘの愛をどのように表すのか、それが心理を読み解く鍵だろう。

Reservationroad2  ホアキン・フェニックス演じる被害者の父の、犯人を捜しだそうとする怒りの感情は、事件を経験した人しか分からないだろうが、鬼気迫るような迫力があった。この映画が父親視点であったので、事件から時間が経過するにつれ立ち直るためには今ある現状から前向きに生きるしかない、という母親(ジェニファー・コネリー)の心理描写の場面が少なかったが、それは仕方がないことかもしれない。でもジェニファーは短い場面でそれを上手く表現していた。本当に、彼女の演技はイイ。

 次に犯人サイド。離婚して別れた息子と過ごす時間を生きる糧にしている気持ちと、事件を起こしたことへの罪悪感に悩む姿。この両者をどう演じるか、が鍵だろう。他のレビューには、この心理描写に厳しく批評している人もいるが、この演技は難しいだろう。マーク・ラファロはこの難しい設定を上手く演じたと私は思うし、台詞ではなく映像や表情でそれが出ていたのではないか。

 「もしひき逃げで我が子が命を落としたなら、あなたならどう思う」と問う被害者の父のことば、これがこの映画の訴えたいことなのだろう。だが、感動したのはその場面ではない。ピアノをはじめようと提案された被害者家族の娘が、「音楽は天国に届くのかな」と母親に問い、「そう思うわ」と答える会話の方だった。感動は、考えられた台詞ではなく、フッと漏れる純粋な子どものことばから受けるものなのだ。家族へ愛を強く感じるのは、こういう場面なのだろう。グッときて、目に涙が浮かんだ。

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