リトル・チルドレン(Little Children)
元警官とロリコン男のストーリーは決してサブではない
不倫を題材にした映画、ということで、「マジソン群の橋」のようなドラマ、または「氷の微笑」のようなサスペンスを予測して鑑賞したが、見事にその予測を外されてしまった。それも、良い意味で外された、という印象だ。人が成長していく過程を描く、人間ドラマであったのだ。
主人公の主婦サラ(ケント・ウインスレット)と、不倫相手の主夫ブラッド(パトリック・ウイルソン)が、お互いに魅かれあうのは予想通りというか、お決まりのパターン。彼らが破滅的な愛に溺れるか、現実に気付き別れるのか、どちらかだろう、推測はつく。この後、2人の連れ合い(グレッグ・エデルマン、ジェニファー・コネリー)がストーリーにどう絡んでくるのか、どのように2人の関係に気付き、問い詰めるか、昼メロの世界が繰り広げられるか、と思ったら、やや肩透かし。実は、彼らよりも、ロリコン中年男のロニー(ジャッキー・アール・へイリー)と、彼を執拗に追いつめる元警官のラリー(ノア・エミリッヒ)の存在が鍵になってくるとは思いもつかなかった。確かに、映画の当初から妙に気になる存在ではあった。この作品が、素晴らしい人間ドラマになりえたのもの、この2人の登場人物のおかげかも知れない。
つまり、こうだ。
ラリーは任務中に誤って少年を撃ってしまった。その後、PTSD(心的ストレス障害)になり、職を辞してしまうのだが、代わりの職が見つけられない。警官としての使命感だけを頼りに生きている。ゆえに、性犯罪者であるロニーを追いつめることで、アイデンティティーを保とうとする。ロニーは、年老いた母親に溺愛されたまま育ってしまった、まさに「大人になれなかった大人」。母親を強く愛し、精神は子どものままなので、恋愛感情は子どもに向く。ゆえに、少女を襲う性犯罪者となってしまった。2人とも、確かに病んでいる。しかし、そのままではいけないと感じている。が、一歩が踏み出せない。その2人を見る周囲の目が冷淡であり、彼らの成長への一歩を助けようとはしない。いや、しないというより「できない」のであろう。なぜなら、周囲の人たち(サラもブラッドも、その他のどの住民も)は皆、自分のことで精一杯なのだ。
そして、壮絶なラスト。2人が現状を乗り越えようと挑戦する場面。ネタばれにならない程度に書くが、ラリーがロニーを救うために必死になる姿に涙が止まらなかった。彼が成長する兆しがみられ、希望の光が見えた。もう、サラとブラッドの話なんてどうでもよくなった。サブのストーリーのように見えたラリーとロニーの話の方が、ずしんと心に響いたのだ。
タイトルLittle Childrenは、大人になり切れない大人というより、この世の人間はみんなまだ子どもだ、ということではないだろうか。成長過程の子ども。その証拠に、ラストで、サラもブラッドも一つの不満を乗り越え、そして何より、ラリーとロニーが大きく一歩を踏み出した。みんな「成長」していったのだ。
最後に難点を一つ。それは、ナレーションが多すぎる点。特に前半。好意的に見れば、ストーリーを補強する上で必要であったのだろう。また、前半のストーリーにテンポがなかったので、ナレーションなしで進んだらもっと緩慢な印象になったかもしれない。そういう点では効果的ではあったのだが、登場人物の内面までナレーションで解説してしまうのはどうか、と思う。


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