チャーリー・ウィルソンズ・ウォー(Charlie Wilson's War)
人間万事塞翁が馬

もし、この映画が、政治家チャーリー・ウィルソンではなくて、CIAの切れ者ガスト・アブラコトスが主人公だったら、かなりの傑作になったのではないだろうか。それが見終わった後の第一印象だった。
もちろん、ガストを演じたフィリップ・シーモア・ホフマンの演技が、チャーリーを演じたトム・ハンクス以上だ、という理由からではない。2人とも好演していることは言うまでもないし、富豪夫人ジョアン・ヘリングを演じたジュリア・ロバーツも存在感は際立っていたし、チャーリーの秘書を演じたエイミー・アダムスはとてもキュートだった。
私が注目したのは、登場人物の発言のあれこれだ。チャーリーの場合、ソ連軍によるアフガニスタン進攻に対して、国防の機密予算を動かせる立場を活かして積極的に行動したことは確かだが、彼自身の言葉にはとりたてて魅力的なものはなかった。ジョアンも、自らの信念に基づいた行動力は目を見張るが、反共&南部&白人&富豪&カトリックという絵に描いたような共和党支持者の発言の範囲を超えることは全くない。
ところが、ガストの台詞はどれも示唆に富んでいる。登場初っぱなに上司と言い合う台詞では、冷遇されたギリシャ移民の意地や怒りが込められていた。ガラスをたたき割るシーンなどは見ているこちらも溜飲が下がった程だ。チャーリーがジョアンのパーティに出席する際にも、宗教信仰の厚い彼女達と付き合うのは危険だ、と進言したり、金持ちで暇を持て余している女性が信念に基づいて行動することほど厄介なことはない、とジョアンを評するなど、ガストの一言一言がどれも皮肉であったり、真実をついていたりするのだ。

そんなガストの台詞の中でも、「禅の師匠と少年の話」の話が傑出している。馬を贈られて幸運そうな少年に、"We'll see."(いずれ分かる)と言い、その馬から落馬した少年を見てさらに"We'll see."(いずれ分かる)、ケガをした少年が戦闘に行かなくてすんだのを見てまた"We'll see."(いずれ分かる)。この話をチャーリーにすることで、成功した後には失敗の兆しが見える、ということを忠告している。これは中国の故事「人間万事塞翁が馬」からきているのは間違いないだろう。この故事では「いずれ分かる」ではない。幸運のあとに「これは不幸に繋がるやも知れぬ」と、不幸の後に「これは幸運に繋がるやも知れぬ」と老占い師は明確に言っている。そうアメリカから提供された武器で鍛えられたイスラム原理主義武装勢力が、911でアメリカを恐怖に陥れたのは、「不幸に繋がるやも知れぬ」どころではない。この故事を引用することで、ソ連軍撤退の後のアフガニスタンで学校を建て、アフガンの若者に教育を与える重要性を訴えたガストの主張の正しさが際立つのである。
「最後にしくじってしまった」という意味深なチャーリーの台詞も、ガストの侏儒の台詞の前ではその存在すらかき消されてしまうほどだ。
最後にもう一つ。ソ連軍の飛行機が何機撃ち落とされたか、と画面に次々と表示されても、喜ぶ気にも、笑う気にも全くなれなかった。いかにも、功績のように演出された映像に同感は出来なかった。憎むべき対象は、末端の兵士たちではなく、そういう政策(軍事行動)を指示した彼らの指導者なのだ。


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